農具を片付けて、水を張っている桶で手を洗いながら、ネメアは空を見上げた。七月の空は青く、手を伸ばせばその青をかき混ぜられるのではないかと思うほど。森の木々の切れ間から、白い入道雲がひょっこり頭を覗かせていなかったら、ここが湖の底かと勘違いしてしまう。
華奢な首からかけた手ぬぐいで、汗を拭う。大陸の北部に位置する賢者の森では、真夏でもそれほど暑くはならない。七月の今ならなおさらだ。だが、それでも夏の日差しの下で体を動かしていると、汗がにじんでくるものだ。
畑の方からから屋敷の中に入ると、ひんやりとした空気がネメアを迎えた。汗をかいた体には、それがとても心地いい。
裏口から左手に三つ扉が並んでいる。一番手前がネメアの部屋、真ん中が妹のケリュネイアの部屋――そして、一番居間に近い部屋の戸が開いている。
開け放たれたままのその戸から、父の書斎を覗き込む。書斎の主は古めかしい机に向かって、何か書き物をしていた。
「父、今日の仕事が終わったので、少し出かけてきます」
ネメアが声をかけると、父がつややかな金髪を揺らしながら、椅子の背もたれ越しにこちらを振り返った。そして、そうですか、と口もとを持ち上げる。
「あまり遠くまで行ってはいけませんよ」
はい、と頷くより先に出て行こうとする息子に、オルファウスはくすくすと笑った。
「ケリュネイアはお昼寝をしているから、起こさないようにね」
背中にかけられた父の声にネメアは返事をしなかった。別に無視をしたわけではない。どう返していいかわからなかったのだ。
ネメアは小さな妹に見つからぬうちに、裏口から外に出た。獣除けの粗末な槍だけを携えて小さな畑を横切り、うっそうと生い茂る森に分け入っていく。
遠くには行くな、とは常日頃から言われていた。だが、十歳の、心身ともに健康な、男の子の好奇心を、猫屋敷の小さな庭が満たしてくれるわけもない。自然と行動範囲は広がって、そのうちに賢者の森の端のほうまで、出かけるようになった。
ネメアは子供ながらに体力があって、半日で森の端――方向にもよるが――に行って帰って来られるが、妹のケリュネイアを連れてとなるとそうもいかない。自然と、屋敷の周りで妹にあわせて遊んでやることになる。
それを面倒だとか鬱陶しいとか思うことはないが、少年の好奇心を満たしてくれるかというと決してそうではなかった。
兄が自分に黙って出かけてしまうと、ケリュネイアはひどく膨れた。だが、小さな妹の抗議も幼い好奇心には勝てない。
この時期には、遊牧民が森の近くまでやってきている。彼らの中にはネメアと同じような年頃の子供達がいて、彼らと遊ぶことが多くなっていた。森の中しか知らないネメアにしてみれば、草原で馬を駆る彼らの話はとても面白かったし、運がよければ実際に馬に乗せてくれることもあった。
ネメアは彼らのことを名前も知らない。彼らもネメアのことを知らない。それでも普通に遊んでいられるから、子供というのは不思議である。
その日も、森と草原の境目辺りから、子供たちの笑い声が響いていた。
「おう、何だ。お前、今日も来たのか」
七月の日差しを浴びて、焼きあがったばかりのパンのような肌をした少年が言った。森の奥からやってきたネメアを見つけて、手招きをしている。
彼は遊牧民の子供たちの中で、一番年かさで、一番体が大きかった。ネメアよりもいくらか年上だったが、体格はほとんど一緒だった。
うん、と頷きながら、彼らのところに駆け寄ると、年下の子らが小川に入って何かしている。
「何をしてるんだ」
ネメアが尋ねると、エビを獲ってる、と言う。見れば、小川に石で堰を作って、小枝と布きれで作った網を置いている。小さな子たちが小川に入って、派手にしぶきを上げながら網に川エビを追い込んでいた。
「本当は魚獲りたいんだ」
年かさの彼が言った。森で拾い上げたらしい棒切れを、ぶんぶんと振り回している。
「魚、獲ったことないんだ」
「この小川じゃ、メダカがせいぜいだな」
ネメアは小川を覗き込みながら言った。川底まで透けて見える清流に、紛れるように小魚が群れになって泳いでいる。
メダカじゃあな、と遊牧民の少年は肩をすくめた。
遊牧民は魚をほとんど食べない。彼らの牧草地には大きな河川がないからだ。あったとしても釣りや漁をするよりは、家畜を活用したほうが早い。
ネメアは森の奥に視線をやって、もう少し奥に行けば沢があるけど、と言った。
「遠いのか」
「そうでもない。でも一応、獣が出る」
獣といっても大ネズミのシェイドラットや、フラフラと鬱陶しく視界を横切る毒蛾のフラッフィプリカ程度のものだ。都市部の子ならばまだしも、遊牧民の子供たちなら相手をしなれているだろう。森で暮らすネメアは言わずもがなだ。
遊牧民の子供らはネメアを先頭に森の中へと分け入って行った。それぞれ、手ごろな棒切れを振り回している。
「お前ん家、この辺なのか」
「いや……もっと森の奥のほう」
そんなことを話しながら、子供たちは少しばかり森の奥へ進んだ。当然、道らしいものはなく、歩きにくい獣道が続くばかりだ。その代わり、といっては何だが、獣に出会うことはなかった。日が高いせいかもしれない。そのうち、沢のどうどうと流れる音が聞こえてくる。
獣道のすぐ右手に斜面があって、そこに生えた木立の間から陽光にきらめきを返す川面が垣間見えている。河原に続く斜面を木々を支えにしながら、森と草原の子供たちが次々に降りていく。
「おー、すげぇ! でっかい魚が泳いでる」
遊牧民の子供たちが、大きな岩の上に登って沢の中を覗き込んだ。七月の日差しを浴びて、水面はキラキラと輝いている。逆巻く流れが白いしぶきを上げていて、それが陽光に反射して、そこら中に飛び散っている。
「魚を捕るんなら、もう少し下流のほうがいい」
ネメアに連れられて、子供たちは川を下り始めた。沢はそれほど大きなものではなかったが、草原で暮らす遊牧民の子供たちには、初めて見る大きな水場である。沢が流れる音に負けないほど、子供たちの楽しげな笑い声が辺りに響き渡った。
それからみんなで沢で魚を捕って、それを河原で焼いて食べた。もう昼は過ぎていて全員昼食は取っていたが、なんといっても育ちざかりの子供たちである。それぞれ一匹あるかないかの川魚など、あっという間に胃袋に収まってしまった。
川遊びに興じるうちに、日が陰ってきた。空を見上げれば、屋敷を出たころには森の向こうに頭がひょっこり出ているのがせいぜいだった入道雲が、ぐうっとこちらを覗き込むみたいに身を乗り出していた。
「そろそろ戻らないと、雨が来るぞ」
ネメアの声に子供たちが一斉に空を仰ぎ見た。口々に、雨だ、まずい、と騒ぎ出す。入道雲がこちらに追いつくまでに、遊牧民の集落に戻らねばならない。ネメアはここで屋敷に戻ってもよかったが、それほど離れていないとはいえ彼らが森に迷ってはいけないと、森の出口まで付き添うことにした。屋敷に戻るのは遅れるが、走ればそれほど濡れずにすむだろう。
森の木立をすり抜けるように、子供たちが駆けていった。すばしっこい子らは集落まで競争とばかりに、後ろを振り向きもせずに走り抜けていく。一番年かさの、ガキ大将然とした彼は、足の遅い子や年少の子を追い立てるように一番後ろを走っていた。
ネメアは前にも後ろにも気を配りながら、集団の中ほどを走った。やがて、森の木々が途切れ、視界が広がり始めた。そのときだ。
「待て! 止まれ」
耳朶を打つ馬蹄の響きに、ネメアは声を上げた。彼より後ろにいた連中はつられて足を止めている。だが、先に行ったうちの何人かが、制止が聞こえずに飛び出して行ってしまった。
「おい、何だ。どうした」
年かさの彼が不満そうな顔をしている。
「まずい。馬が来てる」
ネメアは森の先を睨み付けながら、帝国の兵隊どもだ、と吐き捨てた。遊牧民の子供たちが、ざわつきながら青い顔をした。
帝国領で暮らすものなら、帝国軍の横暴なふるまいを誰でもよく知っている。大人たちは兵隊を見たらすぐに逃げるように子供たちに教えていたし、子供たちもそれをよくわかっていた。
木立の向こうから幾人かの悲鳴が聞こえてきた。おそらく先に飛び出した子供たちが、見つかったのだろう。
すぐさま飛び出そうとした一番年かさの彼を、ネメアは押しとどめる。
「おいっ、何だよ」
「お前が行ってどうする」
ネメアは視線で、まだ残っている年少の子供たちを指し示した。
「迂回して、小さい子たちを集落まで連れて行け。ほかの連中は私が逃がす」
年かさの彼は少し不満げな顔をしたが、それでも一番年長という立場がある。気を付けろよ、とネメアに言い残して、ほかの子供たちを連れて木立の陰を縫うように移動し始めた。
ネメアはそれを確認して、前方の茂みに身を伏せた。生い茂る葉の陰から様子を窺うと、鈍色の甲冑に身を包んだ男たちが、数人の子供たちを囲んでいる。
恐怖で泣き叫ぶ少年たちを、黙れと恫喝しながら、男の一人が彼らの頭部を覆う頭巾を取り去った。遊牧民特有の色鮮やかな頭巾を放り棄てながら、兵士は舌を打つ。
「何だ、金髪はいねぇのか」
「金にならんな。まぁ、何もないよりマシだ。売れば酒代くらいにはなるだろう」
いかにも興味がなさそうに、兵士の一人が腰の剣を抜き放った。刃が鞘走る音がネメアの所まで聞こえてくる。恐怖に悲鳴を上げる少年たちを蹴りつけて、兵士は彼らを馬の方へ追い立てている。
まずい――ネメアは一も二もなく身を伏せていた茂みを飛び出した。そのまま矢のように、一番近くの兵士に体当たりをする。隙を突かれた兵士が尻餅をついてその場にすっ転んだ。
「あっ、こいつめ」
「おい、見ろ。金髪だ! 金髪のガキだぞ」
兵士たちの注意がこちらに向く。すぐさま体勢を立て直したネメアは、後ずさりながら槍を構えている。
幸か不幸か、ネメアは賢かった。獣を相手に槍を振り回すのには慣れているが、自分の技量が大の大人――しかも複数――には到底及ばないことを理解していた。このまままともに戦えば、死ぬのはこちらだろう。どうにかして逃げ切らなければならない。
兵士の一人が振り下ろした片手剣をかわしながら、ネメアはへたり込んでいる連中に向かって、小石を投擲した。
「行け! 走れ!」
肩に小石が当たると、腰を抜かしていた子供たちが、悲鳴を上げて逃げ出した。ネメアはそれを確認するが早いか身を翻して、森の茂みの中に飛び込んだ。
「ガキが逃げたぞ」
「そっちはほっとけ。金髪を追え。二万ギアだぞ」
そんな男たちの声と木立を大勢が分け入ってくる足音が、背中を追いかけてくる。ネメアは乱立する木立の合間をすり抜けるようにして森の中を駆け抜ける。振り返ると、黒い影になった木々の合間に、鈍く光る甲冑がぞろぞろと動いているのが見えた。
空はとっくに分厚い鉛色の雨雲に覆われていて、低く垂れこめたそこから今にも雨粒が落ちてきそうである。雲の内側では、ゴロゴロと稲妻が走り回る音が響いていた。
やたらめったらに走り回るうち、木立が途切れて河原に出た。モカシンの底が、玉砂利を踏んで滑る。兵士たちが口々に喚き立てながら、すぐ傍まで迫っているのがわかる。
勢い込んで踏み込んだ足が沢の浅瀬に突っ込んだ。ばしゃりと水が跳ねる。肩ごしに振り返ると、手甲に覆われた大きな手が、今にもネメアの肩につかみかかろうとしている。
体ごと振り向きざまに、握りしめていた槍を一閃させる。短い悲鳴を上げた男の手首から、ばっと血が飛び散った。
「このクソガキ。やりやがった」
忌々しげにこちらを睨み付ける男の腕から、鮮血が滴り落ちている。血のしずくが川面に落ちるのとほとんど同時に、空を覆い尽くした雨雲からも大粒の雨のしずくが落ちてきた。すぐさま、立て続けに雨粒がいくつも落ちてくる。雨の勢いは激しく、当たると痛いほどだった。雷は相変わらず、頭上でゴロゴロと鳴っている。
兵士たちが抜剣した。鈍い光を放つ刃が鞘走る。
降りしきる雨粒を振り払いながら、兵士の刃がネメアめがけて振り下ろされた。槍の穂先でそれを払いのけると、煙るような雨の中に火花が散った。刃同士がかち合う澄んだ音が、雨音の中に響き渡る。
すんでのところで兵士の白刃を打ち払ったネメアの脇腹を、別の兵士が蹴り上げた。肋骨が奇妙な音を立て、肺の空気が押し出されて呼吸が止まる。蹴り飛ばされて浅い水場に倒れ込み、身をよじりながら立ち上がろうともがく。だが、その少年の小さな体を、兵士の軍靴が踏みつけて再び蹴り飛ばした。
浅いとはいえ水場に突っ伏している。呼吸ができない。混濁する意識がさらに混乱する。無意識のうちに鼻孔といわず口といわず、水を吸い込んでさらにむせ返る。肺の中にほとんど入っていない空気が、それに合わせてすべて出て行ってしまう。
突然、体を持ち上げられたと思ったら、胸ぐらをつかまれて河原の砂利の上に押し付けられた。首もとが締まり、意識がもうろうとしてくる。白濁する視界の中で、兵士の持った白刃が雷光にギラリと光るのを見た。
「おい、なるべく髪を切るなよ。最近、政庁は金払いが悪いからな。妙な疑いをかけられたら……――」
わかったわかった、と仲間に対しておざなりな返事をしながら、兵士は剣を振り上げた。このときにはすでにネメアは意識を手放しており、ぐったりとして濡れた首筋を無防備にさらしていた。白く幼い少年の首を、雨しずくがしたたり落ちていく。
その首筋めがけて兵士が剣を振り下ろし――。
「え」
彼は確かに剣を振り下ろそうと腕を振った。だが、その剣がなかったのだ。どころか肘から下がなかった。鋭利な刃で、一瞬で跳ね飛ばされていたのである。兵士本人どころか、傷口ですらそれを認識するのに時間がかかったらしい。一呼吸遅れて、土砂降りの雨の中に血が噴き出した。
腕を切り飛ばされた兵士は、その場に突っ伏して森中に響き渡るような悲鳴を上げる。その視界の端に、黒々とした禍々しい大槍の穂先が映った。ほかの兵士たちは呆気に取られている。果たして、この大槍の持ち主が、いったいいつの間に彼らの間に割り込んだのか、誰も気づかなかったからだ。
巨大な槍を携えたのは、鈍色の鎧に身を包んだ偉丈夫である。彼は呆然としている兵士たちにはまるで無関心な様子であった。河原に倒れたネメアをじっと見下ろしている。不思議なことに土砂降りの雨の中に立ちながら、男は濡れている様子がない。まるで、雨粒のほうから彼をよけているようなありさまであった。
次の瞬間に腕を切られた兵士の悲鳴をかき消して、彼の喉の奥から夜のような真っ黒い炎が身をくねらせた。突然噴き上がった炎は、兵士の体を内側から燃やしているのだ。
残りの兵士たちは逃げることもできずに、その場で硬直している。異様な空気に、時が止まっているようだった。降り続く雨と兵士の体を包む黒い炎の揺らめきだけが、それが錯覚であることの証明であった。
槍の主が兵士たちを振り返った。それが、魔人バルザーであることを知っているものなど、ここにはいない。ただ、生物の本能として、目の前のこの男が自分たちを簡単に殺せる者であることはわかっただろう。
それからここで起こったことは、『戦闘』と呼ぶには一方的に過ぎた。どちらかといえば、『殺戮』と呼んだほうがいいだろう。
沢の水を赤く染めながら、河原には無数の兵士の死体が転がっている。バルザーはそれらにまるで目もくれなかった。視界に入ってもいない。
バルザーの灰色の瞳は、じっと河原の玉砂利の上で転がっているネメアの方に向いている。彼の息子は気を失っている。ただ眠っているだけのように見えた。
雨脚の弱まった雨滴にさらされ、幼い寝顔は青白い。白い頬に金の髪が張り付いている。バルザーは息子の傍に膝をついて、彼が負った傷を癒してやった。それからぐったりした息子の小さな体を抱え上げて、雨をよけるように大きな木の下に横たえた。
息子は起きる気配がない。傍にいるバルザーの気配にも無頓着に眠っている。その顔が、昔、この森で亡くした妻に似ていた。
この息子の誕生を心待ちにしていたあの娘の面影が、確かにこの幼い面差しの中で生きている。金色の髪も、白い頬も、何もかも妻に生き写しだ。
息子の寝顔を見ているうち、ふとバルザーの身の内に、一つの考えが生まれた。
このまま、この小さな愛しい息子を連れ去ってしまおうか、と――。
その考えは妻を失ったときにぽっかりと空いた胸の穴に、ぴったりと収まってしまう。このまま息子を連れ去って、自分の手元に置いておけたら……。それは胸の穴をすっかり埋めてしまって、まるで始めからそうだったように思うほどだ。
甲冑に覆われた胸に手を置く。そこで脈打つものなど何もないはずなのに、どくりと鼓動をひとつ感じた気がした。
その鼓動に導かれるまま、釣られるように幼い寝顔に手を伸ばす。そのときだ。手甲に覆われた無骨な手から、赤黒い液体がぽとりと音を立ててしたたり落ちた。息子の白い頬に、赤い染みができているのを見て、バルザーはもとより厳めしい表情をさらに険しくした。
この子を連れ去ったとして、自分が何をしてやれるだろう。この手で、この子に何を与えてやれるだろう。
血まみれの手を胸に置く。もう鼓動は聞こえてこない。ただ、もとの通り、ぽっかりと空いた胸の穴の中で、妻が笑っている。この小さな息子によく似た面差しの――。
バルザーはネメアの白い頬に落ちた血のりを、指の腹で拭ってやった。柔らかい幼子の頬を、傷つけないように気を払いながら。
傍にいなくてもよい。ただ、健やかに、幸福でさえあってくれれば……生きてさえいてくれれば。
ネメアが目覚めたとき、雨は上がっていた。雨雲はすっかり東の方に流れてしまっており、空は夕焼けに赤く染まっている。風は涼やかで、雨上りの湿気をはらんで肌寒いほどだった。
ネメアは河原から少し離れた巨木の根元に、雨露をよけるようにして寝かされている。いったい、誰がここまで運んでくれたのだろう。それよりも、あの兵士たちはどうしただろう。
周囲を見回しても、兵士たちの気配はまるでなかった。河原はしんっと静まり返っており、緩やかに流れる沢の水面が夕焼けの赤を照り返している。
あれは夢だったのだろうか。あるいは、まだ夢の中にいるのだろうか。ネメアはそこに立ち尽くして、ぼんやりと河原を見つめた。そして、それに気が付いた。
まだ通り雨の跡が乾ききらぬ河原のそこかしこに、ススのようなものが残っている。それが、うっすらと人の形をなしているのだ。人型のススは河原中にあって、そこら一帯を埋め尽くしているように見えた。
誰かが助けてくれたのだ。その誰かは、ネメアを助けて、影だけを残して兵士たちを燃やし尽くしてしまったのだ。
そんな考えが頭に思い浮かんだとたん、ネメアは急にそら恐ろしくなって駆け出した。肩ごしにちらりと河原を振り返ると、照り付ける夕日が燃えているようだった。そして、そこに浮かび上がる影が、炎にもだえ苦しむ亡者の姿に見えた。
ネメアはそれから一度も振り返らずに森をひた走った。そんな彼の小さな背中を見つめる、灰色の視線に気づかないまま――。
◇ひとこと◇
小さいネメアさんにちょっかい出したらとんでもないセ○ムが来たでござるの巻。