風の巨人

 明朝、猫屋敷を発ったレインたちは、徒歩でウルカーンに入った。猫屋敷を発って、約十日後のことである。長いこと馬による移動だったために、久しぶりの徒歩の旅程が妙に遅く感じてしまう。
 ところで、レインの予想は当たっていた。ディンガル帝国はレインとアンギルダンに対して追討令を発表した。果たして、アンギルダンがどうしているかレインには知るよしもないが、あの親仁のことである。あっさり追っ手をかわしているに違いない。
 その一方で、レインはこの夏の最中に外套の頭巾を目深に被る羽目になってしまった。服装も男物の服に変えて、レインは男のふりをして賞金稼ぎたちの目をごまかすことにしたのである。意外と顔を指されないもので、体格のよさがいい目くらましになってくれたようである。
 ウルカーンは帝国に落とされて以来、皇帝の直轄領になったが見た目には今までどおり変わりがなかった。ただ、今まで見られなかった帝国の兵士が、町中のそこかしこを我が物顔で闊歩していることくらいである。彼らにバレると面倒なことになるが、レインの涙ぐましい努力のおかげでどうにか相手をせずにすんだようだ。
 町の奥にある、神殿へと続く小道に入ったところで、レインはようやく外套を脱ぐことができた。
 火の精霊神殿は町の裏手の、山の洞の中にあって、ただ町を訪れただけでは気づかない。山に掘られた洞窟を抜けた先のうら寂しい場所である。
 風が洞窟を駆け抜ける音くらいしかしない。山の中にあるために、青空も望めないような場所である。魔法の力で絶えることのないかがり火が、闇を追い払っている。
 お待ちしておりました、とレインを出迎えたフレアは、相変わらずの無表情であった。彼女はおそらく精霊神殿に通じるであろう場所を封じるように立って、こちらをじっと見つめていた。
「わたくしは火の巫女です。精霊神の座所への入り口を守るのが、役目――ここから先へ、あなた方を進ませるわけには参りません」
 フレアは柘榴石をはめ込んだような感情に乏しい瞳で、レインを見つめてくる。神殿を照らすかがり火が、彼女の赤黒いような瞳に、ちらちらと反射している。
「もし、私が、その道をゆずるのがフレアの役目だと言ったらどうするの」
 レインが容赦なく言い放つと、フレアはわずかに顔をしかめて視線を落とした。伏した瞳が篝火の炎のように揺れている。
「わかりません」
 とフレアは言った。絞り出すような調子であった。
「わかっただろう、フレア。他者から与えられる役目を求めるなら、ときに相反する役目を押し付けられることだってある。最終的に、どちらかを選ぶのはあんた自身さ」
 もちろん、どちらも突っぱねるって選択肢もある、とレインが言うと、フレアはむっつりと唇をつぐんで沈黙した。
「もし、わたくしが譲ることはできないと言ったら、レイネート様はどうなさるのですか」
「それならば、しかたない。フレアの意志を尊重して、押し通るしかない」
 力ずくで通るのかよ、と成り行きを見守っていたヴァンが呆れている。言葉こそないものの、ナッジも同じく苦笑しているようだ。
 そんな彼らを黙殺し、フレアは視線を持ち上げて、レインを見上げる。表情のない彼女が何を思っているのか、視線だけでは判別できない。
「あなたに従います」
 そう言って、フレアは体を脇にどけた。フレアが封じていた先には、細い通路がまっすぐに続いている。
 通路の端に身を寄せて、フレアは頭を振った。
「……わたくしに選択の余地などないのです。わたくしはあなたを信じるしかありません。『束縛の腕輪』を持つあなたを拒めないのです」
「そんなことないよ。だって、私、腕輪の使い方知らないんだ」
「レイン、フレアに不正を教えるの、やめなよ」
 ナッジが言うので、レインはおどけた様子で肩をすくめる。フレアを見れば、よくわかっていない顔をしている。
「まぁ、やり方なんて色々あるってことさ。よく考えてみるといい」
 言いながら、レインは少し通路を進んだ。
「通してくれてありがとう、フレア」
 精霊神の座所へ通じる道の端で、フレアは深々と頭を下げた。

 
 精霊神の座所への通路を進みながら、ちらりと後ろを振り返った。神殿はすでに遠く、そこで何をするでもなく立ち尽くしているであろう巫女の姿は見えない。
 レインにはフレアが特別な『もの』だとは思えずにいる。魔道に明るくないレインには、その技術で人の複製を作り出すということがどういうことなのかよくわからない。シェムハザ長老の行動が、狂気によるものだろうが、愛によるものだろうが、レインの見たフレアはただの巫女の少女である。
 フレアと接して得た印象が、レインのすべてだ。少し変わった子だとは思うが、ただの人間と何が違うのかわからない。
 生きる中で義務や責任は常に付きまとうが、それが生きるすべてではない――とレインは思う。
 まっすぐ一直線に続く通路は、質素な神殿を通過すると、途端に岩肌がむき出しの空中回廊になった。ひと二人がすれ違える程度の細い天然の岩の橋で、通路の両側は目もくらむような高さである。その下には、マグマらしき赤い液体がぐらぐらいっている。通路から体を覗かせない限り、熱さはほとんど感じないが、マグマの明かりで周囲はほんのり明るかった。ただ、天井までは明かりも届かず、見えない。
 通路を進んでいくと、終点は岩壁であった。溶岩の海の上に張り出した岩棚が足場になっており、小さな祠が壁に半分埋まるようにして建っている。祠は簡素で、東屋のような作りである。白い石で作られた四つの柱が丸い天井を支えており、装飾もほとんどない。かろうじて、床に四つのシンボルが刻まれている程度だ。丸いシンボルはその大部分が摩耗してしまっていてよく見えない。唯一、綺麗に原型をとどめている北側のシンボルは、燃え盛る炎を模しているように見えた。
 中に入ったはいいが、何もない。三人できょろきょろと周囲を見回していると、
「よくぞ来た」
 と、突然、朗々とした声が響き渡った。レインたちは円陣を組むように背中合わせになって身構える。が、それを無視して声は続けた。
「我が体を踏みつける、忌まわしき風の巨人を打ち払え。さすれば、汝に火の祝福を与えよう」
「巨人はどこにいる」
 レインが油断なく構えながら、鋭く尋ねたときだった。突然、自分の体がぐんっと引っ張られるのを感じた。テレポートの感覚に近いが、いつものような抵抗を感じない。
 レインたちは白い光の中を、誰かに引っ張られるようにしてぐんぐん進んだ。やがて、引っ張られる感覚が止んだときには、彼女たちは雲の中にいた。
「うわ、何だこりゃ」
「すごい……」
 ヴァンとナッジが周囲を見回して、感想をもらした。レインは黙って槍を構えたまま、周りに油断なく目を光らせている。
 雲の中、という表現がまさに的確である。周囲を黄金の絹織物のような、揺らめく雲が覆っている。ほかには何もない。上や下という感覚もない。しかし、そのような、柔らかそうな見た目の割には、靴裏に感じるのは硬い地面のようなしっかりとした感触である。まるで、見えない足場が浮かんでいるようだった。
 感覚がおかしくなりそうだ。
 今度は周囲の黄金色の雲たちが、急激に後方へと流れ始めた。レインたちはそこから一歩も動いていない。だが、まるで自分たちが足場ごと、どこかへ運ばれているような錯覚を覚える。
 レインは見た。自分たちの前方に、巨大な人影があるのを。
「いたぞ」
 レインが鋭く叫ぶのと、巨人らしき人影がこちらを睨んだのはほとんど同時であった。
「おのれ、ウルカーンめ。復活を目論見、人の子をよこすとは」
 巨人は言った。体は磨かれた黒檀のような色をした、筋骨たくましい男のものだ。ただ、頭部は色鮮やかな鳥のような形をしている。巨人は右手に持った巨大な剣を構えてみせた。光をそのまま凝縮させたような、不思議な刃だった。
「この巨人プネウマを人の子ごときに倒させようとは、なめられたものよ。――人の子らよ、バイアス様の背の上で栄えし者たちよ。闇の母を呼び覚ませば、如何な災難が地に満ちるか、わからぬわけではあるまい」
「文句は精霊神に言ってくれ。こっちだって好きであんたを倒しに来たわけじゃない」
 ティラの復活なんぞ、レインにとってはどうでもいいが、こいつを斃さねばエステルは永遠に地の底だ。
 巨人の鳥の顔が、わずかに歪んだような気がした。
「愚かなる人の子よ。精霊神の甘言に惑わされ、この風の巨人プネウマに刃を向けようとは許しがたし。その死で、汝の罪をあがなうがよい」
 巨人が右手の光の剣を振りかぶった。白い軌跡を描きながら、巨大な刃が振り下ろされる。切り裂かれた風が、渦を巻いた。
 人の背丈の二倍――少なくとも長身のレインの二倍――はあるような、巨人の一撃だ。まともに受ける気はなかった。さっと身をかわす。
 ヴァンに目配せする。彼は言葉では応じず、その代わり、踊るような足さばきで巨人の前に躍り出た。
「おらっ、デカブツ。こっち来い!」
 言うなり、さっと身を翻して巨人のまたぐらを潜り抜ける。前に転がるようになったヴァンを追って、巨人が剣を振るう。
 その剣先がヴァンの体を貫く前に、レインの槍が唸りをあげた。それと同時に、ナッジの魔法が完成した。魔法の光がレインの体を包み込み、彼女の体の中に吸い込まれていった。
 レインは強い土の香りを感じた。猫屋敷の裏手の畑を耕したときのような、大地に寝転がったときのような。
 大きく振るった槍の穂先が、巨人の左足を砕いた。まさしく、砕いたのだ。彫像が壊れたようにボロボロと。砕け散った巨人の左足は、見る間に風の固まりになって消えてしまった。
 だが、片足をなくしても、巨人は倒れなかった。わずかによろめいただけで、すぐに体勢を立て直す。
「おのれっ」
 巨人の鳥のくちばしの上部――人間でいうところの眉間――に光球が生まれた。
「下がれ」
 レインの声に三人が散開する。光球から放たれた強烈な光線が、一帯をなぎ払った。特殊な空間だからか、なぎ払われた見えない足場には何の影響もなかった。
 巨人がくちばしをかっと開けた。暴力的な風がレインに襲い掛かってくる。一瞬、風圧に呼吸が止まる。動きが抑制される。
 巨人の剣が頭上に迫った。避けられない。レインは槍を構える。
 打ち下ろされる巨人の剣の腹を、横手からヴァンの飛び蹴りが襲った。わずかに軌道がぶれる。振り下ろされた剣と、レインの槍の柄が火花を散らした。
 ずんっとかかる重さに体が軋む。だが、ヴァンが軌道をそらしてくれたおかげで、思ったほどではない。さっと受け流すと、槍を翻して伸び上がるように巨人の喉下に穂先を突き立てた。
 しかし、巨人もこの程度では倒れない。ぶわりと風を起こしながら、剣を振り上げる。
 その腕に、鍾乳石のような石の牙が襲い掛かった。ナッジの土の魔法だ。巨人の振り上げた腕を中ほどから砕き落として、石のつぶては消えた。
 レインが巨人の喉に突き立てた槍をなぎ払う。首を半分以上切り落とされた巨人が、かっと目を見開いた。
「おのれ……闇が、せ、か、いを……」
 恨み言を言いながら、巨人の体がどぉっと倒れた。それと同時にその体が、荒れ狂う風となって消えた。
 すげぇ、とヴァンが呆気にとられたように言う。
「斃せるもんだな」
「ナッジ、何か魔法を使ったろ」
 レインが槍を示しながら尋ねると、うん、とナッジは人好きのする笑顔で頷いた。
「土の精霊力を付加したんだ。『風』の巨人、って言ってたから。土の精霊は苦手だろうと思って」
 大活躍だったな、とレインが頷いたときだった。
「よくやった、人の子よ。さぁ、火の祝福を受け取るがいい」
 朗々とした声が辺りに響き渡った。その瞬間――。
「うわっ」
 レインは驚愕してびくりと体を強張らせた。全身を炎が覆っている。赤い炎の舌が、レインの全身をなめていく。吸い込んだ空気が燃えている。肺が焼ける。熱い――!
 かと思うと、炎はもうどこにもない。全身の熱さも幻のように消えている。体にも何の異常もなかった。
「おい、どうしたんだよ」
 ヴァンが訝しげに顔を覗き込んでくる。見れば、ナッジも心配そうにしている。
「え、二人とも何ともないの」
 私だけかよ――何だか釈然としないものがある。こんな大変な思いをして、何で怖い目にまで合わねばなければならないのか。
 仏頂面を浮かべたレインを尻目に、さぁ、と精霊神の声が響いた。
「残る封印は三つ。四人の巨人を駆逐せよ――」

 
 ウルカーンを後にした三人はロセンからリベルダムへと戻った。あまり悠長に構えてはいられない。エステルを早く助けてやりたいのはもちろん、ネメアの動きがわからないのが恐ろしい。
 幸いであるのは、ネメアが闇の神器に関して自ら動いているという点だ。情報を集めるのに人は使っているが、神器の獲得には彼自身が赴いている。多方面に人を送る、という人海戦術がないだけマシだろう。
 ネメアが自ら動くのはとにかく目立つ。ディンガル皇帝という立場もあるが、もとが英雄であるだけに人目につく。南部ならばなおさらだ。
 ロストール領内では派手に動けないはず――リベルダム港に入港する船上で、レインは考える。
 エストをロストールに呼び戻せればいいが。
「エルズ行きの船で落ち合おう」
 乗船券を買っておいてくれ、とレインはナッジに金を渡した。ヴァンに渡さなかったのは、彼女の信頼度の差だろう。
「お前は何をするんだ」
「ギルドに行く」
 レインがギルドへ向かう目的は二つ――情報収集とエストからの手紙を確認するためだ。
 相変わらずリベルダムのギルドは人が多い。特に今は、カルラのリベルダム攻めが噂されているだけに、傭兵の職を求めていかにもそれらしい連中が集まっている。
 人ごみをかき分けて、カウンターに向かう。そういえば、ネメアに初めて会ったのもこのカウンターであった。
 あれからもうすぐ一年だな、早いもんだ――お互いの立場は、色々と変わってしまったが。
「よぉ、ディンガルのお尋ね者」
 カウンターの親仁が揶揄するように笑った。
「やめてよ。変な連中に目を付けられる」
 レインが苦笑すると、親仁は、すまんすまん、とまた笑った。
「酒場じゃいい賭けになってるぜ。『稲妻』が逃げ切るか、『獅子』が追いつくか――ってな」
 すでに一度追いつかれていることを教えたら、賭けている連中はどういう顔をするだろう。どちらが人気かは聞かないことにする。
「手紙が来てないかな。依頼状以外で」
 来てるよ、と親仁が言って、しばらく奥に引っ込んだ後、手紙の束を持ってきた。ずいぶん分厚い。帝国に仕官していたころは政庁に届けられていたが、西方に従軍してからは手紙を見ていない。そういえば、政庁に届いたはずのそれらはどうなったのだろう。破棄されたのだろうか。帝国出奔後はリベルダムに回すように手配していたが、もしセラあたりから連絡が来ていたら面倒である。
 手紙の束をざっと確認しながら、レインは何でもないふりをして親仁に尋ねる。
「最近、獅子帝が動いたって話を聞いてる?」
「お、何だ、敵情視察か。――んー、近いうちにカルラがリベルダム攻略に動くんじゃねぇかって話は聞くが、獅子帝がどうのって話は聞かねぇな」
 そう、とレインはほっとする。とりあえず、レインたちが洋上にいる間にネメアが動いた痕跡はないわけだ。
 闇の神器のことはいいや。エアに聞こう――礼を言って、レインが立ち去ろうとしたときだった。親仁が何か思い出したように、レインを呼び止めた。
「そうそう、お前さんに名指しの依頼があるんだよ」
 止めてたんだが、仕官を辞めてフリーになったろ、と親仁は言った。
 金は必要だが、今、仕事をしている余裕はない。断ろうとしたレインを無視して、親仁は続ける。
「ロティ=クロイス邸に届け物でな。大事なものだから、高名な『稲妻』にぜひ――と言われてなぁ」
「クロイス邸なら市民街にあるやつでしょう。何でわざわざギルドに頼むんだ。自分で持っていけばいいのに」
 クロイスはリベルダムの豪商である。百人議会にも強い発言力を持ち、西のロストール王妃エリスともつながっているとか。それから、ロセン解放軍とのつながりもある――らしいというのを朱雀軍に調べてもらっていた。
「送り主は」
「匿名希望」
「うわ、怪しい。何だそれ……中身は」
「知らんよ。開けてみるわけにいかんだろ」
 親仁は直方体の小包を示してみせる。装飾のないシンプルな茶色い紙包みに覆われている荷物だ。親仁が少し揺すってみせると、ちゃぷちゃぷと音がしている。たぶん、酒だな、と親仁は言った。
「やだよ、そんなあからさまに怪しい仕事」
「だよなぁ。しかも、届けるだけで三万ギアだと」
「三万!?」
 レインは思わず、素っ頓狂な声を上げた。ギルド内の喧騒が水を打ったように静かになる。レインは視線が自分に集中するのを背中で感じながら、声を潜めた。
「何だ、その法外な報酬」
「そう。怪しいだろ。――ま、受ける受けないはお前さんしだいだな」
 清々しいくらいに怪しい。だが、三万あったら当座がしのげる――レインは考える。
 レインはもともと、非常に慎重な性格である。臆病ともいっていい。博打よりも堅実にこつこつ積み上げていくほうだ。普段のレインの思考回路なら、絶対に請けない仕事である。
 だが、このときのレインは焦っていた。多大な出費、仕事を請けている暇がないほどの多忙、ラドラスから続く強敵との死闘――そして、ネメアとの決別が、レインの思考を鈍らせた。
 クロイス邸からギルドに戻って、三万ギアを手に入れたレインはそれを懐に収めながらため息をついた。
 これは後々まずいことになりそうな予感がするぞ、くっそぉ……。
 レインは誰かにはめられたわけではない。貧乏に負けたのだ。
 リベルダムの魔法仕掛けの大時計が、船が出る時間を告げたので、レインは慌てて港に向かって駆け出した。

 


◇ひとこと◇
 一応、巫女たちも助ける方向で動いてます。

 

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