「この度のお主の戦いっぷり、見事であった」
天幕中どころか、その外まで聞こえるような大声で、アンギルダンは笑った。将軍の天幕の中には、レインをはじめとした騎士や士官がつめている。アンギルダンは彼ら一人ひとりに声をかけ、功績をたたえ、その労をねぎらった。
「さて、これからのことを考えねばならん」
アンギルダンは少しだけ、声のトーンを落とした。
「この作戦の要は足の速さじゃ。身を軽くした分、物資が足りぬ。ロストールの領民からちょいとばかし、いただかなくてはならぬ」
自分のすぐ傍に控えたレインの片眉が、ほんのわずかに動いたのを、アンギルダンは見逃さなかった。豪快なくせに、こういう、細かいところにはよく気がつくものだと、レインは感心する。
「レイン、お主はロストールの出身だったな。思うところもあるだろうが、こらえてくれ。これが戦争というものだ」
レインは少しばかり首を傾げて、
「――別に何とも思っちゃいないよ、アンギルダン。気にしなくていい」
徴発隊を出すように命を受けて、レインは天幕を出た。本陣から少し離れた自分の陣地に戻る。早速、レイン付きの士官が、いかがいたしましょう、と尋ねてきた。
「……兵に二時間休憩を取らせろ。徴発隊はその後でいい。編成はお前に任せる」
命じると、士官は生真面目な敬礼を返してきた。
「あ、レイネート様、おかえりー」
レインが自分の天幕に戻ると、ユーリスと朱雀軍の女性兵士たちが迎えた。性別を問わないディンガル軍だが、男女の別がないわけではない。朱雀軍は男性の方が多いため、数が少ない女性兵士たちは、みんなこの一番大きな天幕に固まっている。
天幕の中は物資を入れていた木箱を組み立てた簡易の寝台や、薬類などの物資で溢れている。中央に据えられた大きなテーブルで、何人かが食事を取っていた。
「二時間休憩だ。経ったら起こしてくれ」
言い置いて、レインは天幕の一番端にあるスペースに入った。衝立で隔離されてあるそこは、レインに割り当てられた、いわば、簡易の個室である。簡単に武装を解いて、木箱を並べただけの寝台に横になる。
何とも思っちゃいない?――胸中で愚痴る。この嘘つきめ。
レインとて、覚悟はあった。戦争とはそんなものだ。どれほど慎重にことを進めても、兵隊だけを相手に戦争を終えることは不可能だ。わかっている。わかっていた。
だが、いざ、ロストールの田舎町を目にしたら、その覚悟が揺らいだ。田舎の町や村なんて、どこもほとんど変わらない。レインがここへやってくるまでに通り過ぎた、小さな村々が、まるで在りし日のオズワルド村に見えた。命を奪い奪われる恐怖など知らぬ幼い自分が、優しい母と暮らしている幻を見た気がした。
たった二時間の猶予を、レインの部隊一つが施したところでどうなるというのだ。アンギルダンも、ほかの将官も、みな徴発隊を出したはずだ。
いかに戦争中といえど、物を得るには金を払うのが常識だ。だが、極限状態の最前線で、それが必ずしも守られるかといえば難しいだろう。レインの部隊一つが猶予を与えたところで気休めにもならない。
加害者になりたくないだけなんじゃないのか、と自問する。何を今更、あれほどのロストール人を殺しておいて、何を今更――という声がする。だって、あれは兵隊だ、と反論する。
敵に甘い顔をしてやるわけにはいかん――ネメアの声が聞こえた気がした。
甘い……甘いかな……。この甘さが自分の首を絞めるのか――レインが率いる何百という兵士たちが、この甘さで死ぬのかもしれない。
はっとレインが目を覚ますのと、兵士が駆け込んでくるのと、ほとんど同時であった。
どうやら、ごちゃごちゃと考えているうちに、寝入ってしまったらしい。
「何事だ」
起き出したレインに、兵士は言った。
「て、敵襲です!」
「何……?」
険しい顔を浮かべたレインに、兵士は続ける。
「徴発隊を出したところを、奇襲されました。本陣が……」
兵士の言葉を聴きながら、レインは武装を整えている。完全にくつろいでいなくてよかったと、冷や汗をかいた。
「将軍はどうした」
「わかりません。とにかく混乱していて」
レインは天幕を飛び出すと、号令をかける。遠く――視認できる距離だが今は遠く見える――の本陣から、煙が上がっている。騎乗した敵影が、こちらに向かってくるのが見えた。多くはない。一小隊程度だろう。
「緊急用の魔法弾を打ち上げろ」
慌てて戦闘準備をさせたが、これでは軍馬が間に合わない。とにかく時間を稼がねば、と歩兵を連れて前に出る。
「騎兵を引きずり倒せ」
それだけを命令し、レインは軍馬を駆った。二時間経ったわけではない。レインの陣にはまだ兵士が残っている。相手の数も少ない。時間さえ稼げれば、本陣まで行くのは簡単だろう。
軍馬の用意ができたものから、次々に陣営を飛び出していく。
「散らばるな! 矢型陣形を取れ。三、六、十一騎士隊はしんがりに着け」
軍鼓を鳴らせ!――戦場を駆け回りながら、レインは声をからした。軍馬の周りにまとわりつく歩兵が、槍を突き出してくる。鈍い光を放つ槍の穂先が、レインの眼前をかすめた。ゆるく波打つ黒髪がひと房、白刃に切れ払われ、戦場の風に流されていった。
馬上から振り払われたレインの槍が、まとわりつく歩兵の刃を弾き飛ばした。馬首を巡らされた軍馬が、倒れた兵士を踏みつける。遅れて駆けつけたディンガルの軍馬が、歩兵の群れに突撃した。
驚いたのはロストール軍のほうである。ただでさえ少ないディンガル軍が徴発に出払っていると思いきや、一部隊が丸々残っていたのだから。
浮き足立ったロストール軍の中央を、陣形のごとくまさに弓から放たれた矢になってレインの部隊が突破した。追いすがるロストール軍を、しんがりを務める精鋭たちが食い止める。
煙を上げて焼け落ちる将軍の天幕が見える。ひやりとしたものが背中を伝う。
本陣になだれ込んだレインたちが、そこかしこで切り結ぶロストール兵を追い立て始めた。焼け落ちた天幕が、上昇気流に煽られてばさりと舞い上がる。
「アンギルダン! どこだ!」
レインはあの目立つ赤い鎧を探して軍馬を駆った。切りかかってきたロストール竜騎士の、振り上げたその腕を切り飛ばしながら。
陣内のいたるところで上がった火の手が、勢いを増した。黒煙が青空に吸い込まれるように立ち上っている。風に舞う火の粉と灰が、軍馬を駆るレインの気管を焼いた。
「アンギルダン!」
炎に巻かれた天幕が、燃え上がりながらどぉっと倒れこんできた。慌てて手綱を引くと、軍馬が大きく棹立ちになる。逃げ遅れた兵士が炎の塊の下敷きになった。しかし、それが果たして、ディンガルの手勢だったのかロストールの兵士だったのかは、レインにもわからなかった。
ついにアンギルダンを見つけられないまま、本陣を出てしまった。本陣が落ちる前にどこかに逃げおおせたのかもしれない。
馬首を巡らせようとしたレインは、丘陵の下に赤い鎧を見つけてはっとした。
遠目にもわかる戦斧を担いだ赤い甲冑は、確かめるまでもなくアンギルダンだ。彼は鋭い眼光を目の前の敵に向けている。
何だ、どういうことだ――レインは軍馬を操って、丘陵を下り始めた。彼女が混乱しているのは、アンギルダンの相手をしている男のせいだ。立派な体躯に両手大剣を正眼に構えた、ブルネットの男である。よく見知った男だった。
何でゼネテスが――彼はたまに冒険をした仲である。気のいい男で、軽口をよく利いた。いつも飄々としていて、戦争なんて、一番遠いところにいるような男である。確かに、ロストールでよく見かけたが、戦争より冒険、といった態度の男が、まさか傭兵にでもなったというのか。
アンギルダンの戦斧が、ゼネテスの大剣に弾かれる。どちらも重量級だ。一撃が致命傷になるだろう。
ゼネテスが大剣を振り上げた。
「やめろ! ゼネテス!」
レインは丘陵を軍馬で駆け下りながら、その上に体を起こした。槍を握り締め、腕を振り上げる。不安定な軍馬の上でバランスを取りながら、槍を投擲した。
槍は、レインの意志を汲んでくれたかのように、稲妻のように飛翔した。大剣を、今にも振り下ろさんとしたゼネテスが、弾かれたように飛び退った。彼のいた場所に、レインの槍が深々と突き刺さる。
丘陵を下りきったレインは、アンギルダンとゼネテスの間に立ちふさがった。馬上の彼女を見上げて、ゼネテスはぎょっとしたようだった。
「げっ、お前か」
彼はそんなことを呟いて、風に乱れたブルネットを後ろになでつけるように頭をかいている。その態度は、いつも酒場で飲んだくれていた平素の彼と、あまりに変わらない。レインは馬上で呆れてしまう。
「あんた……何してんの?」
レインの、阿呆のような質問に、とっくに構えを解いていたゼネテスは肩をすくめた。整えたばかりの彼の短いブルネットの髪が、きな臭い戦場の風に揺れている。
「ま、俺にも色々付き合いがあるんだよ。しかし、『稲妻』がディンガルについたってのは聞いてたが、まさか、とっつぁんの下にいるとはな」
人物は人物を呼ぶんだな――とゼネテスは言った。先ほどまで切り結んでいた相手に取るような態度ではない。飲み友達を居酒屋に誘うような、そんな気軽さである。
アンギルダンがレインの騎乗した軍馬の隣に並び立った。彼は戦斧を肩に担いで、呵々と笑っている。ゼネテスもゼネテスだが、こちらの大将も態度に問題がある。
「わしの口説きのテクニックも、なかなか馬鹿にできんだろう。色男」
「何だ、レインはじじい好みか。俺が誘っても乗ってこねぇくせによ」
「ちょっと待ってくれ。状況が見えない。私、置いてけぼりなんだが」
戦場にあった緊張感というものが、この場には一切なかった。それこそ、酒場で卓を囲んでいるような、親密さがあった。それゆえに、天幕が焼け落ちる臭いと、血臭が混じったこの場の空気のほうが、浮いて感じる。
ゼネテスはひとしきり笑った後、ふと、真面目な顔になった。
「あんたら二人相手はちと荷が重い。ここらでとんずらさせてもらうぜ」
言うなり、レインたちに背を向けて、逃げ出していく。彼の行く先には丘陵を下ってくるロストールの騎兵が見えた。
レインは、馬上から手を伸ばして、地面に刺さったままだった槍を引き抜いた。馬首を巡らせる。
「追わずともよい」
アンギルダンが鷹揚に言った。
「ロストールにはあやつがおったことを、うっかり失念しとったわ」
歳は取りたくないのぉ、などと言いながら、アンギルダンは立派な髭をいじり、ニヤニヤしている。
レインたちが睨む前方では、ゼネテスがロストール騎兵と合流を果たすところであった。彼は騎兵らに何事か伝え、軍馬を一頭譲ってもらうと、それにひらりとまたがった。そして、馬首をめぐらせて、丘陵を登っていく。そのとき、ゼネテスがちらりと振り返って、こちらに手を振っているのが見えた。
さすがに振り返しこそしなかったが、何だかおかしかった。
「あいつ、何者?」
「知らんのか。あやつは、ロストールの筆頭貴族ファーロス家の跡取りよ」
「えええええっ」
これにはさすがに、レインも声を上げた。静かになり始めた戦場に、その驚愕の声が響き渡る。
貴族といえば、レムオンのイメージが近い。早い話が、ゼネテスとは正反対のイメージがあるのだ。それに、今まで、何度か道連れにもなったが、ゼネテスはそんなことを一言も言わなかった。
まぁ、言えるようなことではないか――レインはまだ少し、この事実を信じ切れていない。この状況で、アンギルダンが嘘をつく必要がないことも、確かにわかっているのだけれど。
馬上から下り、これからどうする、とアンギルダンに尋ねると、
「してやられた。人も物資も足りぬ。何より、足を止められては勝機は薄いのぉ」
山脈から駆け抜けるように王都へと攻め入る予定であった。敵の目をリベルダムへ向け、準備の整わない敵を打ち払い、手薄になったところを一気に叩くつもりが――。そもそも、総司令を失って散り散りになったロストール軍を、誰がこんな短時間で立て直せると思うのか。
「本国に戻る」
アンギルダンは言って、レインが連れていた軍馬にまたがった。
「レイン、急ぎ、軍を立て直せ」
戻る、と言っても一筋縄ではいかない。三千弱いたディンガル軍は、ゼネテスの奇襲で約二千名にまで減っていた。
これから山を越えなければ帰れないのだ。兵士たちの絶望は目に見えて、逃げ出す者も多かった。特に、ディンガルに義理のない傭兵は、その大半がリベルダムや王都に逃げてしまった。
最終的に残ったのは千五百程度で、戦の厳しさを思い知る。
「アンギルダン、あんたは騎兵を連れて山を越えろ。歩兵に山越えは無理だが、馬があれば何とかいけるだろう」
山脈への街道を北上しながら、レインはアンギルダンの隣に並んだ。
隊列は延びきっており、今追っ手がかかればひとたまりもない。騎乗した黒鎧騎士たちが、歩兵の尻を叩くようにして行軍させている。
「歩兵はどうする気だ」
「私が歩兵を連れてドワーフ王国へ行く。あそこの地下街道なら、歩兵でも安全に通れる」
分断の山脈には旧山道というものがある。レインがはじめて山脈を越えたときに通った、古い街道である。ただ、山を大きく迂回するように作られたこの街道は、道幅も狭く、場所によっては獣道然としている。何より、山を一部くりぬくように作られたトンネルは、馬や車が通れないのだ。
今回の山脈越えも、旧山道は使わなかった。綿密に練られたルートによって、犠牲が最少ですむような道を選んでいたのである。
アンギルダンは少しだけ、考えるようにして前方に目を落とした。そこにはのろのろと進む歩兵の列が並んでいる。
では、歩兵ならば旧山道を通れるかといえば、それも厳しい。起伏が激しい山道を、この疲弊した兵士たちで突破はできそうにない。犠牲をいとわなければ、体力のあるものだけ帝国に戻ることは可能だろうが――そんなことをする意味はなかった。
千五百の兵のうち、騎兵は三百弱いるが、そのほとんどはレインが率いていた部隊である。ほかの多くの騎兵たちは、徴発に出たところをゼネテスの指示で各個撃破されて散り散りになった。訓練された騎士を失ったのも痛いが、ディンガル産の強い軍馬を奪われたのが痛い。
「山越えはお主のほうが適任じゃろう。お主の部隊だ」
「あんたが、大将だ。戦に負けて、おまけに大将までやられました、じゃあこちらの面子が立たん」
「面子で戦をやるわけではない」
アンギルダンが睨むようにこちらに目をやった。琥珀色の視線は鋭い。わかってるよ、とレインは柔らかく笑った。
「じゃあ、言い方を変えよう。みんな、あんたが好きなんだよ。朱雀軍はそういう軍だ。あんたは早く、安全な帝国領まで逃げてほしい」
レインが軍に入って、朱雀軍で嫌な思いをしたことがない。みんな気のいい連中で、アンギルダンのためにみんなで奔走した。将軍の愚痴をこぼすこともあったが、本気で言っているやつを見たことがない。みな、笑顔で、しかたないなぁ、という感じでアンギルダンの補佐をしていたのだ。
アンギルダンは、また少し思案した。
「しかし、ドワーフ王国が通してくれるかの。あそこは中立。戦には加担せんはずだ」
「敗残兵がちょっと通るだけだ。どこかに攻め込むわけではない」
詭弁だの、とアンギルダンが笑うので、詭弁だな、とレインも笑った。
「よかろう」
アンギルダンが頷いた。
「レイン、必ず生きてエンシャントで会おう」
山脈手前の分かれ道で、全軍では最後の野営を行った後、朱雀軍は二手に分かれた。騎兵を率いたアンギルダンは山脈のほうへ。レインは歩兵を伴って、ドワーフ王国へ向かった。
少しでも将官を逃すために、レインは馬を下りた。歩兵とともに行軍した。アンギルダンとともに行く黒鎧騎士が、副将を歩かせるわけにはいかない、と渋ったが、馬には乗らなかった。
敗戦の責任を感じているわけではない。軍馬は貴重だ。馬は逃がさなければならない。何より、レインにはまだ歩けるだけの体力がある。
レインのすぐ傍で、傷ついた兵士が膝を突いた。どうやら目をやられたらしく、顔面の大部分を布で覆われている。包帯の隙間からわずかに覗いた顔色が、真っ青だ。紫色をした唇が戦慄いている。
その兵士の友人らしいもう一人の兵士が、泣きながら彼の腕を取って、立ち上がらせようとしていた。
「がんばれ」
傷ついた兵士に肩を貸しながら、レインは声を上げた。ぐったりとした兵士の体重が、レインの足にかかってくる。疲労に痛む脚に、顔をしかめそうになる。だが、レインは何でもないフリをして、胸を張った。
「ドワーフ王国を越えれば、すぐに帝国領だ。ロストールは追っ手をかけない」
諦めるな、とレインは言った。
「お前たちは勝ったんだ。ディンガルに絶対帰るぞ! 諦めるな」
逃げなかったらしいレルラ=ロントンが、リュートをかき鳴らしながら歌を歌う。どこからともなく、誰からともなく歌声が重なり始める。ディンガルの歌らしい。故郷を歌ったその歌が伝染するように伝わっていく。
レインはその歌を知らなかったが、故郷を思う気持ちはよくわかった。何ともいえない寂寞が、胸を襲った。母に会いたかった。オルファウスやネモでもいい。あるいは――ネメアの顔が見たくなった。
レルラ=ロントンの歌のおかげか。行軍は何名かの脱落者を出しながらも、概ね良好に続いた。
そして、最後にアンギルダンと野営してから六日もの時間をかけて、ついにドワーフ王国へとたどり着いたのだった。
◇ひとこと◇
ゼネテスが初出っていう違和感。
レインの故郷「アスティア」「猫屋敷」「ネメア(←NEW!)」