テレポートの感覚というのは、何ものにも例えがたい。まず浮遊感があり、上下左右の区別がない。この時点で奇妙であるが、視界も白く塗りつぶされているし、音も何もない――あるいは聴覚を阻害されているのかもしれない――のである。
それでいて、暑くもなく寒くもなく、ぬるい空気が自分にまとわりついているような感覚がある。それだけだというのに、前に進んでいる、ということがわかるのである。というよりも、目に見えない何かが自分の脇をすり抜けていくような、たとえるならぬるま湯の川に逆らっているような感覚が近いだろうか。
こうした感覚は、精霊が使う地脈を通らせてもらっているためだ――と、オルファウスに教わった。本来、人間の通り道ではないから、抵抗感があるのは仕方ないのだそうだ。こうした負荷が、長距離テレポートの難しさの一端を担っている。
また、ひとりで通るのにも抵抗を感じるのだから、人数が増えるとさらに負荷を感じるのは当然のことだ。テレポートで複数人が移動するとき、彼らはお互いを魔道力という命綱で繋いでいる。それらを引っ張る術者には人数分以上の抵抗がかかるため、ひとりでテレポートするよりも難しくなる。
今、レインは自分の腕の中に、しっかりとエステルを抱えている感覚がある。そのため、たった一人増えただけで、術をコントロールするレインにはいつもの倍以上の負荷がかかっていた。
正直な話をすると、レインは多人数でのテレポートをやったことがない。ザギヴが猫屋敷でかくまわれていたころに、彼女に会うために猫屋敷の魔道士たちにテレポートを必死で教わったが、それだってレインひとりでのことだ。
負荷の分、レインの体感速度はいつもより遅い。たとえるならば、服を着たまま泳いでいるような、もどかしさがある。レインの脇を通り抜けていく土の精霊たちの動きが緩慢に感じる。
魔法はイメージです――レインは魔法の師オルファウスの言葉を思い出す。
「呪文は精霊への呼びかけにすぎません。どうしたいのか、どういう魔法を使いたいのか、しっかり思い描いてください。テレポートで大切なのは目的地のイメージです。頭の中に地図を描いて。自分がどこに飛びたいのか――たとえば、町並みや人々の雑踏といった光景、音、匂い……そういうイメージを精霊たちに届けるのです」
あとは集中ですね、と師は笑った。
レインは頭の中に描いた地図の、竜骨の砂漠にピンを刺した。そして、そこできっと自分たちの帰還を待っている仲間たちのことを考えた。アンギルダン、ヴァン、ナッジ、イークレムン、フレア、そしてエア――彼らが黄色い大地の上に立っているところを想像した。
彼らのところに通じる道を――帰り道を、とレインは強く願った。この腕に抱えた友人とともに、彼らのもとに帰りたいのだ。
地脈を司る土の精霊たちがレインの願いを聞き届けてくれたらしい。彼らは竜骨の砂漠への細道を紡ぎ上げ、レインたちをそちらへと誘導する。やがて、視界を覆っていた光の白さが弱まり、黄色い大地に立つ六人の姿が小さく見えてきた。ちょうど、トンネル中から出口が見えたような光景だった。
戻れた、と思ったときだった。レインの腕の中から、エステルの感覚が消えた。
「エステル!」
慌てて手を伸ばしたが、もう届かないどころかエステルの姿は白い光の中に消えてしまっている。油断して落としたわけではない。戻れたと思って気を抜いたわけでもなかった。
誰かが、レインの腕から、エステルをかすめ取ったのだ。
レインの体は真っ白い空間の中でふわふわと浮かんだまま停止している。自分の意思ではない。精霊の小道の上で停止するなど、可能なのかどうかもわからない。少なくとも、レインの魔道の技術では不可能だ。
誰かが、彼女を引き止めている。エステルを奪った何者かが――。
「地の巫女は、預かった。この娘は、大地の支柱となる」
突然、地鳴りのような声が聞こえた。老人のような、中年のような――とにかく男の低い声というのはわかるが、どういう人物かはわからない。わかるのは、この声の主が、レインからエステルを奪った張本人に違いないということだ。
「ふざけるなっ。何者だ、貴様」
レインは槍を構えながら、激怒した。周囲を確かめたが、人や獣の気配はない。当然である。レインは今、精霊たちが作った魔法の道の上にいるのだ。
声は足下から聞こえてくるような気もしたし、頭上の高いところから降ってくるような気もした。
「地の巫女を救いたくば、我らが封印を解放せよ」
「何……? 封印?――何の話だ」
「我は地の精霊神グラジェオン。我らの体を踏みつける、憎き巨人どもを駆逐せよ」
そうすれば、お前に力を与えてやろう――精霊神は尊大に告げた。
「力なんぞいらん。エステルを返せ」
周囲を油断なく睨みつけながら、レインは怒鳴り返した。
「魔人を斃せる力だとしてもか」
精霊神の言葉に、レインは顔をしかめた。なぜこいつはレインの目的を知っているのだ。精霊の神なら何でもわかるのだろうか。確かに力は欲しい。ヴァシュタールを倒せる強い力が欲しい。
レインはしかめ面のまま天を仰いだ。上下の区別がないために、本当は見当違いの方向を睨んでいたのかもしれないが、どちらにせよそこには何もなかった。白い光に満たされた空間がどこまでも広がっているだけだ。
「いらん。力の質には、こだわることにしている」
人質を取って、レインの弱みを握って、甘い報酬をちらつかせるやつが与えてくれる力なんぞ、たかが知れている。レインはそう思った。そんな付け焼刃で魔人を斃せるのか。ただの甘言ではないのか。
レインの知る魔人と戦うものたちは、もっと地道に、もっと必死に強くあろうとしている。ネメアも、ザギヴも、セラも――彼らの強さなら信じられるが、顔も見せないようなやつの力はいらない。
何より、勝手にエステルを連れ去ったのが気に食わない。
「力はいらんが、エステルは返してもらう。どこに連れて行った」
怒号のようなレインの調子に、しかし、グラジェオンは淡々としたこれまでと変わらぬ調子で続けた。
「四つの座所を訪れよ。五人の巨人を駆逐せよ。我らの封印が解けしその時に、巫女はお前のもとに戻るだろう。それが果たせぬならば、大地の娘は我が懐で世界を支える支柱となり続けるだろう――」
とたんに、レインの体が勝手に精霊の道を進み始めた。先ほどまでの抵抗感が嘘のような速さである。
「おい、待て……エステル!」
名を呼べどもエステルからの返事はない。その内に体が魔法の道からはじき出されてしまう。浮遊感が消える直前に、精霊神の声が響いた。
「四つの座所を訪れよ。五人の巨人を駆逐せよ……――」
精霊たちから放り出されたレインは、全身で砂漠の砂の感触を確かめることになった。いつもは足から着地するが、自分の意志とは無関係に発動した魔法の力は、乱暴である。地面が柔らかい砂地でなければ、全身を打ち付けていたに違いない。
「レイン!」
仲間たちが名を呼びながらこちらに駆け寄ってくる。彼らが砂を踏みしめる音を聞きながらも、レインはそれを無視した。体についた黄色い砂漠の砂を巻き上げながら、勢いよく立ち上がるなり日が随分と傾いた砂漠の空に吼えた。
「ふざけんじゃねぇ! あの野郎!」
その語気の強さに、仲間たちはぎょっとなる。レインは砂漠の砂を蹴り上げて、地団太を踏んだ。
「精霊神だか何だか知らんが、ひとの友達を横からかっさらいやがった! 許せん!」
またさらわれたのかよ、とヴァンが言った。げんなりした様子で肩を落としている。どうやら、彼はエステルがレインとともにいない理由を察したらしい。
「精霊神?」
ナッジが尋ねるので、レインは少し落ち着いて、うん、と頷いた。
「封印を解いたらエステルを返すとさ。くそっ」
「精霊神からご指名とは、お主も豪気よな」
アンギルダンが苦笑した。好きで選ばれたわけではない。できることなら選ばれたくなどなかった。
「それで、どうするの?」
ナッジが不安げに尋ねるので、もちろん、とレインは腕を組んだ。
「エステルは助ける。巨人を倒せとか、言ってたけど」
「巨人が何を封じているか、知らぬのか」
エアがこちらを見上げている。理知的なエメラルド色の瞳が、レインをしっかりと捉えていた。
「知らん」
レインはエアから視線を外して、遠く、黒煙を上げて砂漠に沈むラドラスを見た。陽炎に揺らぐ町は、ほとんどが砂漠に埋もれているようだった。
「たとえ、何を封じていたとしても、エステルを放ってはおけない。友達だし……エステルは何も知らないまま精霊神に連れ去られたんだ。放っておけば、このまま世界を支える柱にされてしまう。こんな馬鹿な話があるものか」
エアはじっとレインを見つめていた。この天地千年を見通す童女の目に、レインはどう映っているのだろう。ひょっとして、レインの未来も知っているのだろうか。
「巫女は精霊神に仕える者。精霊神が是とおっしゃるなら、放っておくべきでは。エステルもそれが本望であろう」
「あんた何を言ってるんだ。エステルの本望? あんたそれ、あの娘に確かめたのか」
語気荒くエアに向かうと、彼女は少しだけ沈黙し、失礼した、と至誠な様子で会釈した。
その様子にレインは勢いをそがれて沈黙した。エアはそんなレインからさっと目をそらすと、今度は父親と寄り添って立つイークレムンに視線を向けた。
「さて、水の巫女よ。そなた、アキュリュースへ戻るのであろう」
と尋ねると、イークレムンはこくりと頷いた。
「あ、はい。あの……」
「わかっておる。妾が送ってしんぜよう」
そっちの父御も一緒にな、と小さな巫女は言った。
巫女たちの会話が終わるか終わらないかの辺りで、アンギルダンがレインに向き直った。何か言いたげに口を開きかけたアンギルダンを、レインは片手をちょっとだけ上げて制した。
「わかってるよ。イークレムンと仲良くね。帝国には戻れんだろうが、朱雀軍の連中はあんたを慕ってる。いいように計らってくれ」
「無論じゃ。――ありがとう、レイン。娘とこうして会えたのは、お主のおかげじゃ」
アンギルダンはそう言って、大きな手を差し出した。がっしりと握手すると、痛いほどに力を込められた。苦笑して見上げると、アンギルダンはにかっと晴れやかに笑った。
「何かあれば訪ねて来い。いつでも力になろう」
「レイン様、ぜひまた、アキュリュースへお越しください。みなさまも」
イークレムンが丁寧にお辞儀をした。まだ少し、青い顔をしていたが、その両耳で小さな耳飾りが砂漠の風に揺れている。
アンギルダンがエアに頷きかけると、エアがさっと左手を上げた。二人の姿が消える。ほんの少しの魔法の力を残して。
その魔法の力が砂漠の風に流れて消えてしまうころに、
「わたくしも戻ります」
とフレアが少しだけ歩み出た。今まで黙って、輪の外で静観していた彼女は相変わらず、人形めいた無表情を浮かべている。砂漠の風に黒くて長い美しい髪をなぶらせるままにしながら、ぽつんと立ち尽くしていた。
「フレア」
そういえば、ラドラスで助けた際に、エステルをなだめるので言い忘れていた。
「フレア、もうシャリの口車に乗せられてはいけないよ」
フレアの傍に歩み寄って、レインは続けた。
「あいつがあんたに押し付けようとした役目は、あんたでなくてはならないような役目ではない。もちろん、あんたがシャリの思惑をすべて分かった上で――ラドラスがこうなるってわかってて、選んだっていうんなら……まぁ、しょうがない。でも……あんたわかってなかったろう」
ええ、とこともなげに頷いたフレアは、いったいそれの何が問題なのか、さっぱり理解できないという顔をしていた。
「それでも、わたくしに役目を与えてくださるならそれでよかったのです」
いやいやいや、とレインは頭を振りながら、ため息をついた。レインにはフレアの態度は自暴自棄にしか見えない。フレアがどんな生き方をしようが、レインが口出しできることではないが、彼女の状態はそこにすら至っていない。
「フレア……フレア、考えよう。あんたのいう役目ってのは、要するに、人が生きる理由みたいなものなんだろう。だが、それは他人に与えられるものじゃないんだ。というか、こうだっていう明確なものなんてないのかもしれないんだ」
「わたくしは普通の人間ではありません」
それがよくわからない――と言いかけて、レインは深く息を吸い込んで吐き出した。砂漠の乾いた空気で冷静さを取り戻す。
「オーケー、わかった。仮に、フレアが普通の人間ではなかったとしてもだ。私は他人から役目を与えられて生きているわけではない。誰だってきっとそうだ。だったら、フレアだってそうしていいはずだ。いったい、誰がそれに文句をつけるんだ。誰もいやしない」
フレアはしかめ面を浮かべたレインをじっと見つめている。同じ黒髪でも、フレアの髪は黒一色だ。砂漠の日差しを浴びて、七色に照り輝いている。灰色がかったような、くすんだような黒髪のレインとは違って、そんなフレアの黒髪はとても神秘的に見えた。
「――どうして……」
「フレア?」
ぽつりとこぼれ落ちた呟きに、平素の彼女とは違う響きを感じた。レインはフレアの美しい白い面を覗き込むようにした。フレアもまたじっとレインを見上げてくる。
しかし、フレアはゆるゆると頭を振った。その拍子に流れるような黒髪がさらさらと音を立てる。表情に変わりはない。いつも人形めいた無表情だ。
「ウルカーンに戻ります」
レインはフレアが消えた魔法の力の残滓を、じっと見ていた。魔法のきらめきが砂漠の乾いた風に流れても、じっと見ていた。
レインには、フレアがしょげて見えた。『束縛の腕輪』を渡さないと言ったときも。シャリに自らついていったのだ、と言ったときも。制御室に残るエステルに交代を申し出たときも。――そして、今も。まるで帰り道に迷った幼子のようだった。
何とかしてやりたいとは思うが、かといって闇の神器を渡せば、帝国の手が伸びかねない。ウルカーンは皇帝の直轄地だが、実質、治めているのはあの宰相だ。彼はあの地に闇の神器が戻ったと知ったら、何の躊躇もなくネメアに献上するだろう。
レインはため息をつく。できれば、目の前で途方にくれている人間がいれば手を差し伸べてやりたい。それが知っている人間ならなおさらだ。
無人の荒野で蛇毒にやられて死にかけたあの時、差し伸べられたあの助けが、どれほど嬉しかっただろう。まだ今よりずいぶん間が抜けていたから、あの冒険者たちの名前すら聞かなかったが――。
無人の荒野で迷うフレアに、自分はどんな助けの手を差し伸べてやれるだろう。彼女と会うたびに考えるが、フレアにレインの手は届いていないように感じる。自分が明後日の方向を向いているのか、あるいはフレアにレインの手が見えていないのか――それはよくわからない。
何度めかのため息をついて振り返ると、すぐそばでエアがレインを見上げている。年端も行かない様子の童女であるエアは、レインの胸の辺りまでしか背がない。密着すると、一瞬、見失ってしまう。
「えっ……何? エアは、帰らないの?」
少し距離を取って、腰をかがめるようにすると、エアは聡明なエメラルドの目を眇めた。何だか自分の胸の内を探られているようで、こういう視線は居心地が悪い。
「妾もひとつ尋ねてよいかの」
「え、あ、はい。どうぞ」
レインはかがめていた腰を起こして、エアの質問を待った。おそらく、先程のエステルの話に戻るのだろうと思った。
「そなた、もし、未来が見える力を得られるとしたらどうする? 望むか?」
ええぇ……。レインは首をひねる。これまた唐突で予想外の質問だ。
もし、未来が見えたら今度のような大事件も、未然に防げたりしたのだろうか。あるいはレイン自身の苦い喪失も、味わわなくてもよかったのだろうか。だとすれば、それはとても魅力的だ。
うーん、とレインは唸った。
「興味はある」
「ほう」
エアはじっとレインを見上げている。
「わけのわからない出来事に巻き込まれることが多いんだ、今回みたいな。もし事前に知ってたら、前もって準備ができたり、回避したりしやすいのかもしれない、と思う」
「なるほど」
「だが、現実的に考えると、別にいらないかな。未来を見れたとして、その未来をどうするかは結局、自分自身だろう。嫌な未来なら変えようとするだろうし、いい未来ならそうなるように努力するし……そうなると、今とあまり変わらない。心構えができるかどうか程度の差なら、自分の力で覆せる」
正直そういう力を有効活用できるほど、頭が良くないんだ――自虐するようにレインが頭を振ると、エアは小さく笑った。嬉しいような、寂しいような、泣きたいような――何ともいえない顔つきだ。この年端もいかない少女に似つかわしくない、大人びた表情に、レインは思わずぎょっとする。
そうか、とエアは言い、くるりと身を翻した。あらわになった白い背中がこちらに向く。
「参考にしよう。では、エルズの風の神殿で待っている」
言い置いて、エアの小さな体は虚空に消えた。天地千年を見通す少女が、レインのような一介の冒険者の答えを何の参考にするのだろう。
アンケート? そんなバカな――レインは槍を持ち直すと、待ちぼうけを食らっていたヴァンとナッジに向き直った。
「待たせた。一度リベルダムに戻ろう。巨人を斃すにしろ、今は無理だ」
疲れた、と言ったレインに、ヴァンとナッジも賛同した。
リベルダムの町は高い城壁にぐるりと囲まれていて、町の全景はここからでは見えない。ただ、城壁の上から時計台が見えた。ここは竜骨の砂漠の端っこらしい。ここからならば、それほど時間をかけずにリベルダムへ戻れるだろう。
気だるい体を叱咤して歩き出したレインは、ふと、エステルと初めて会ったのはあの時計台の下だったな、ということを思い出した。
◇ひとこと◇
レインの行動理由は、基本的に弱かったころの自分に起因しています。
旅立ちイベントが相当、心の傷になっている模様。