あなたの処刑方法が決定したわ、とあのクリュセイスが言い出したのは、その翌日のことであった。
「闘技場よ。そこであなたはわたくしの剣奴として戦って、無様に死ぬの」
クリュセイスはそう言って高笑いをした。
冬の最中であってもなお、砂漠から吹いてくる乾燥したぬるい風を感じながら、レインは面倒くさそうに女を見ていた。
地下牢にまで響き渡る喧騒の、やかましいこと。ここはレインがつながれていた石造りの牢屋ではない。格子戸が鉄ではなく木製であったりと、造りはあちらより簡素だが、生活スペースとしてはこちらのほうが上等だ。
粗末な寝台と汚物を流す小さな水場があるだけの小部屋。だが、砂漠の乾燥した風のおかげで、湿気てないのがいい。
リベルダムにあるコロシアムにて、戦いを見世物にする剣奴の牢屋だ。戦うのは剣奴だけではない。恩赦や借金のために物好きな金持ちに買われ、命をかける者も多かった。
レインはそんなものに興味がなかった。怪物どもとやりあうのだってしんどいのだ。町にいるときにわざわざ戦いの場に出ようなどと思わなかったし、見たいとも思わなかった。
確か、エステルが好きで闘技場によく通っていた。だが、レインはその友人に誘われても、一度もここに来たことがなかった。
「凄腕の冒険者なんでしょう。でしたら、武器などなくても戦えるわね」
クリュセイスが小馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
レインは白けたような顔をして、枷を外された自分の腕をさするようにして確認する。妙な呪いはかかっていない。魔法は撃てる。だが、どれだけ戦い続けなければいけないかわからない。精神力は温存しておきたい。特に、治癒術に割り当てる分の魔道力は残しておかなければ。
焦ってはならない。好機は必ず来る。
レインは腰かけていた寝台から立ち上がった。
闘技場の案内係に素直に従って、レインは牢を出た。そのまま、天井の格子窓から陽光の差し込む明るい通路を進んでいく。ここは闘技場のほとんど真下にあるらしい。ガラスなど当然はまっていないその天窓からは、流砂のように闘技場の砂が落ちてきていた。
頭上から聞こえる剣戟音に、脅える者もいれば狂ったように叫び続ける者もいる。剣奴にも色々いるものだ。中には、レインのように落ち着いている者もいるようだが。
案内係に連行されるまま、レインは通路の先にある長い階段を上った。薄暗い階段から外に出ると、砂漠の影響をもろに受けた強い日差しがレインの目を焼いた。
広い円形のコロシアムは、砂地であった。ディンガル城地下の練兵場と少し、似ている。観客席はすり鉢上になっており、一番高い席には日差し避けの庇がついている。どうやら、賭けが行われているらしく、賭け札が祝福の花弁のように乱れ舞っていた。実際にはそれは負け札なのだが。
コロシアムには東西南北に似たような入り口があって、そこから四人の選手が入場する。決勝大会になると選手は二人になる。
レインは東口であった。見れば、西口から出てきた男だけ、妙にしっかり武装している。どうやらこの男以外は、剣奴のようであった。剣奴といっても、まったく武装していないのはレインぐらいのもので、おのおの鎧やら剣やらを携えていた。
銅鑼が鳴った。激しく打ち鳴らされるそれをかき消すほどの歓声が、闘技場を包み込んだ。
試合開始の合図だ。
それと同時に、三人の男たちがレインのほうへと向き直る。まぁ、そうだろうな、とレインはまったく慌てもしなかった。
あのクリュセイスが、金を払ってレインを殺せと命じている可能性は高い。そうでなくても、武装していない女相手なら、組みしやすいと考えるのは妥当である。
冒険者らしい風体の男が、すらりと腰の剣を抜いた。少し小さめの剣だが、不自然に濡れたような刀身が強い陽光を反射している。あれには毒が塗ってあるようだ。大方、この男がクリュセイスに雇われた刺客だろう。
あっちは後にしようと、レインは別の剣奴に向かって駆け出した。魔法を温存するには、武器が必要である。
剣奴の繰り出した斬撃を、身をかがめて避けると、剣を握る剣奴の手首をつかむ。背後から斬りつけてきた別の剣奴を、その剣で受け止める。その男を蹴り飛ばし、剣をつかんでいるほうの顔面に、肘鉄をお見舞いしてやる。剣奴が思わず剣の柄から手を離して、後ろへたたらを踏んだ隙に、片手剣を奪い取った。
刺客の男が毒の刃を振りかざす。レインは肘鉄で悶絶している剣奴の襟首を引っつかむなり、刺客のほうに押しやった。背中側を右肩からばっさりと切り捨てられた剣奴は、呻きながら砂地の上に倒れ伏す。その顔が、苦悶に歪み、口から泡がこぼれる。顔面が不自然に青い。
レインは刺客の男から距離を取る。かするのも避けたほうがよさそうだ。
男の身のこなしは、剣奴とは違って手馴れている。本職は冒険者ではなく、殺し屋かもしれない。
レインが大きく踏み込んで、剣を振り下ろした。男がそれをいなす。剣はあまり得意ではないが、素手よりマシだろう。
男の突きを身をひねってかわしたレインの足を、残った剣奴が脚で払う。バランスを崩しながらもそれを後ろへ避ける。
体勢を崩したレインへ、男の白刃が閃いた。黄色い砂地へ飛び込むようにしてそれを避け、ごろりと転がり起きながら剣を構える。伸び上がるようにして剣を突き出したレインの前に、剣奴の背中が飛び出してきた。刺客の男が盾にしたらしい。
剣奴の腹を引き裂いて、レインの剣が止まる。その隙を狙って毒刃がレインの左肩に肉薄した。
レインは剣から手を離し、膝を折ってその場に身をかがめる。頭上を毒の刃が風を切りながら通過していった。レインは今盾にされた剣奴が取り落とした剣を拾い上げ、刺客の男の脚に切りつけた。ぱっと鮮血が飛ぶ。
男がたたらを踏んで後退した隙に、レインも体勢を立て直した。
地に倒れた剣奴の体を挟んで、レインは男と対峙した。流れた汗に風で巻き上げられた砂が張り付く。その不快感にようやく気がついた。
先に動いたのは男のほうであった。いったい、いつ取り出したのか、手に仕込んだ毒矢を投げ放つ。
レインはそれを避けながら、男に突進した。毒矢がわずかにレインの革のブーツを掠めるが、それで毒が回ることはない。踏み込んだ足に砂塵が舞う。それを切り払いながら、振り上げたレインの剣を、男の剣が打ち払う。
男が剣を横に薙ぐ。それを受け止めながら、レインは右足で男の左足を払った。ちょうど、先ほど斬りつけた真新しい傷があるところをだ。
男が体勢を崩した。懐に飛び込んだレインの刃が男の胸に突き刺さる。レインは男の胸に剣を残したまま、後ろに跳び退った。敵もプロと見える。荒い息をつきながらも、刃を振るってくる。
レインは男の剣を握る手をつかむと、それをひねり上げて毒刃を奪った。そして無造作に、男の腹に容赦なく突き立てた。口の端から臭い泡を吹きながら、男が絶命する。
激しく銅鑼が打ち鳴らされた。一際大きく歓声が上がる。白い負け札が、レインの頭上に降り注いだ。
「お前の仇にふさわしい処刑方法だ、クリュセイス」
アンティノに言われたクリュセイスは、自慢げに胸を張った。
「光栄ですわ、おじさま」
クリュセイスは父ロティ=クロイスを殺した冒険者、レイネートを殺すのに闘技場を使うと提案した。アンティノはそれを聞いて、腕のいい殺し屋を紹介してやろう、と微笑んだ。
クリュセイスは父を愛していた。商売の才能に溢れ、家庭を愛した父が、なぜあのような薄汚い冒険者ぶぜいに殺されなければならないのだ。毒殺などという卑怯な手を使って、憎たらしいといったらない。
クリュセイスはコロシアム観戦が好きだ。剣奴も幾人か持っている。クリュセイスが新しく罪人を剣奴にしたところで、誰も怪しむものなどいない。闘技場で剣奴が死ぬことなど日常的であるし、死体の処理も楽である。
世間では『稲妻』などと呼ばれているあの女だって、この闘技場では無名の剣奴だ。ここではクリュセイスのほうがはるかに力も知恵もあるのだ。武器も防具もなければ、手も足も出まい。
――そう、クリュセイスは思っていた。
けれども、闘技場のことはよく知っていても、クリュセイスは戦いに関しては素人であった。ましてや、深窓の令嬢であった彼女は、名うての冒険者の実力など知る由もなかった。
いかにルールの設けられた試合であっても、『戦闘』であるのならば実際に戦場に立つレイネートの独壇場であった。
金や恩赦のために戦う剣奴は言うに及ばず、名誉のために戦う冒険者たちも、レイネートの前には手も足も出なかった。
『稲妻』と呼ばれたこの女は、まさに、全身が武器であった。
あるときには、男の剣奴相手に下穿きを脱ぎ、丈の短いスカートから白い太ももを覗かせて戦った。短い裾を翻して相手の注意を引きながら、無防備ににっこりと微笑みを浮かべる。思わずぎくりと身を強張らせた剣奴の延髄を、容赦なく、その長い脚で蹴り折って見せた。
また、レイネートは観客の心をつかむパフォーマンスにも長けていた。勝ったときには手を振って応じた。自分に向けて声援を送る観客に、微笑むこともあった。何より、試合が派手で、見ていて飽きが来ない。
ある試合の時には、炎の魔法を撃つ女魔道士相手に戦った。レイネートは、壁のように立ち塞がる巨大な炎に一切のひるみを見せずに突撃した。観客が息を呑む中、水の魔法で全身を覆い炎を潜り抜け、相手をあっさり殴り倒してしまった。
レイネートの闘技場での人気は高まった。若く、美しく、強い女である。当然だったのかもしれない。
クリュセイスはレイネートに刺客を送り込むのをやめた。彼女が勝ち抜くたびにクリュセイスに支払われる配当金は、とっくに彼女を捕らえるために仕込んだ魔法の宝石の代金を超えていたからだ。
去年の夏場、彼女に初めて会ったときにもたらされた疑問がここにいたって、首をもたげてきた。
本当にレイネートが父を殺したのだろうか――最近、そんな風に考えることが多くなった。これだけ強い女が、毒殺という手段で父を殺すだろうか。過大評価するわけではないが、レイネートなら護衛を叩きのめして、父を切り殺すこともできる。何にしろ、毒よりももっと直接的に、確実に殺せる方法を選ぶだろう。
冒険者ギルドには確かに、誰かが彼女に配達の仕事を頼んでいた記録があった。依頼人の素性はわからない。アンティノは、あの女がそのように小細工したのだ、と言っていたが。
父を殺したのは、本当にあの女か? 何のために? 動機は何だ?――そんなことを考えるたびに、クリュセイスは強く頭を振るのだ。
何をバカなことを、と彼女は自分を否定する。
刺客を送り込むのをやめたのも、いい金になるから、生かしておいてやるだけだ。彼女が命がけで稼いだ金が、ロセン解放軍の資金源となるのだ。
市民にだけ許された、見晴らしのいい観客席。その庇の下でじっと考え込んでいたクリュセイスは、後ろからかけられた声にようやく思考の渦から意識を引き上げた。
「これはクロイスのお嬢様」
「あ、ええ、どうも……」
百人議会に名を連ねる市民の一人であった。彼は立派なひげを撫でつけながら、それにしても、と笑った。
「お嬢様の剣奴はお強いですな。次はついに決勝大会だ。チャンピオンを倒せるのではないか、と噂されておりますよ」
クリュセイスの剣奴がレーグと戦う――それはとても魅力的な話だ。まさか、あの剣聖に勝てるわけはないだろうが。
まだわからない。彼女が父を殺したのか。
商人はくだらない感情などで動かないものだ。あるのは損か徳かの二択だけだ。
彼女は生かしたほうが得だ。今はまだ。
剣奴が寝起きする闘技場の地下部屋は、クリュセイスからしてみれば鶏小屋のようだった。狭く、不潔で、おおよそ人の住める環境ではなかった。
女はその狭い剣奴牢の中で、粗末な寝台の上にごろりと横になっている。寝台というより、ただの木製の長椅子で、不潔な布に包まって眠っているようだった。
クリュセイスの使用人が、牢の格子を剣でガンガンと叩きながらレイネートを呼んだ。
しばらくして、ようやく、レイネートはのそりと身を起こした。眩しそうに顔をしかめ、鬱陶しそうな目をこちらに向けている。
「何だ」
レイネートは面倒くさそうに言った。格子を挟んで立つクリュセイスを、鋭い視線で睨み上げている。不遜な態度だった。クリュセイスごとき、眼中にない、とでもいうような。
「……ひとつ尋ねたいことがありますの」
クリュセイスの言葉を無視して、レイネートは寝台の上に座りなおした。彼女の視線は石壁のほうに向いている。
「何の理由があって、お父様を殺したの」
レイネートは寝台に腰掛けたまま、じろりとこちらを睨んだ。クリュセイスの言葉を吟味するように、顔をしかめている。
「動機は何か、って聞いているんですのよ」
「だから、何度も言ったが、私がやったんじゃない。私は私宛の仕事をこなしただけだ。ギルドには問い合わせたのか」
女の不遜な態度に、クリュセイスは一瞬、口ごもる。
「確かにあなたへの名指しの依頼はありましたけれど」
「だったら、依頼主を当たれ。私は利用されただけだ。ここから出してくれれば、自分で探し出してぶん殴ってやるがね」
クリュセイスは口をつぐんだ。
レイネートの言うことはもっともだ、と思う。レイネートに配達の仕事を斡旋した記録は、ギルドに照会して確かめてある。アンティノが言ったように、この女が何かの工作をしているのだとして、その必要性がどこにあるのだ。
冷静になろうと努めれば努めるほど、レイネートの主張には筋が通っているように思う。こちらの考えには合理性がないのではないか――そんな考えが脳内を支配する。
何か言わなければ、と口を開くがこれといった言葉は出てこなかった。
「……あなた、誰に頼まれてお父様を殺したの」
言葉が通じないのか、とレイネートは立ち上がった。そして明り取り用の小窓から差し込む光を背負いながら、まっすぐにクリュセイスと向かい合った。
女は美しかった。このゴミ溜めのような剣奴牢の中で、誇りを失わず、なおいっそう輝かんばかりだった。輝く宝石がどれほど汚泥にまみれても、その輝きを失うことがないように。この女には野臥せりにはないノーブルさがあった。
砂漠の強い光を浴びながら、レイネートは続ける。
「金に困っていたから、仕事をしただけだ。逆に聞くが、私があんたの父親を殺して、何の得があるんだ。リベルダムの市民でもないこの私に」
「帝国に加担しているのではなくて?」
「傭兵をやってたこともあるが、契約はとっくに切れた。金を払ってもらえればロストールでもリベルダムでも雇われる。そういう仕事だ」
口をつぐんだクリュセイスに、レイネートは疲れたようにため息をついた。呆れているらしい。
「よしんば、私が誰かに依頼されてあんたの父親を殺したとしよう。だが、私ならワインに毒を仕込むなんてやり方はしないね。なおかつ、金で雇われたんなら、とっくに依頼主の正体をばらしてるよ。ここまでしてかばってやる義理はないから。金で信用は買えない」
クリュセイスはわずかに眉宇をしかめた。ロティ=クロイスが死んで得をする――このリベルダムではそういう相手ではないものを探すほうが難しい。
誰だ? この女を自由にしたら、その相手を突き止めてくれるだろうか――。
クリュセイスは使用人のほうをちらりと見やって、視線だけで指示を出した。
使用人に促されて闘技場の衛兵が、慎重に剣奴牢の格子戸を開けた。わずかに開かれた扉の隙間から使用人が、片手剣を中に放り投げた。
足もとに落ちたそれを、冷めたような目で一瞥してからレイネートは視線をクリュセイスに向けた。
「……次の試合からは決勝大会だわ。無様なやられ方をしたら、わたくしの顔に泥がつきますからね」
「だったら、私の装備を返してくれ。剣は苦手なんだ」
足もとの剣を拾い上げながら、レイネートは言った。鞘から片手剣を抜き、その白刃をしげしげと眺めている。何の変哲もない。そこらの武器屋で買ってきたばかりのものだからだ。薄暗い剣奴牢に、白い光が反射した。
「優勝したら自由にしてあげてもよくてよ。どう?」
「……私があんたなら、私なんかにかまってないで、父親の怨恨の線を洗うがね」
鞘に収めた剣を乱暴に寝台に放り投げながら、レイネートは言った。
「あのアンティノって奴。あんたの父親と組んでたんだろう。色々、恨みが多そうだ」
「おだまりっ」
クリュセイスはつんっとそっぽを向いて、剣奴牢を足早に去った。
何て女だろう。この状況で、何の絶望も、どころか焦りすら感じていない。焦っているのはこちらのほうだ。あの女と話していると、気がついたらこちらが追い込まれているような気分になる。
クリュセイスは綺麗に紅を塗った唇を噛んだ。それから、闘技場の地下から上る階段の途中で立ち止まると、後に続く使用人をぎろりと睨みつけた。
「ツェラシェルを呼びなさい。あの男に調べさせなければ――!」
◇ひとこと◇
決勝大会は本来八月に行われるんですが、都合上、冬場に開催しています。イグザクス涙目。