動けそうな連中を見繕って部隊を編成しなおし、朱雀軍が西へと進軍を始めたのは六月に入ってからのことであった。
バイアシオン大陸の北西部というのは、険しい山岳地帯が多く、騎兵を展開させにくい。アキュリュースにいたっては、周囲を湖に囲まれた、天然の要塞と化している。
朱雀軍は騎兵の数を減らし、山岳部でも走り回れる軽装歩兵と魔道士を多くするよう部隊を編成した。その数は千五百であり、すでに西方に陣を構える白虎軍の六千の軍勢と併せれば、西方を制圧するには容易いだろう。
現在、朱雀軍はアルノートゥンとアキュリュースへ続く街道の岐路に野営している。アンギルダンは小隊を率いて、先にアキュリュースへ攻め入る白虎軍へと合流の打ち合わせに向かった。本隊はレインの指揮の下、のんびりと待機中である。
とにかく速さがものを言ったロストール攻めとは違う。物資は多いし、現在の野営地もまだディンガルの勢力圏だ。
初夏のさわやかな風が木々を揺らし、生い茂る下生えの上を滑っていく。遠くの山の岩肌に、赤いような黄色いような鮮やかな風桜の実が揺れているのが見える。空は快晴で、日向にいると少し汗ばむくらいの陽気であった。周囲には兵を伏せさせやすそうな森林があって、一応、警戒に当たらせているが、その危険は少ないとレインは考えている。
アキュリュースは専守防衛の都市だ。何より、湖岸に陣を引いた白虎軍が上陸を許さないだろう。アルノートゥンも同様で、はるか後方に位置する朱雀軍より、ぶつかるとしたら白虎軍のほうだろう。
朱雀軍の兵士にもそれが伝わるのか、彼らはのん気に賭け相撲なんぞを始めている。天幕近くに積まれた木箱の上に腰掛けて、レインはそれを眺めていた。手甲や脛当てはつけているが、甲冑はつけていない。
格闘の訓練にもなるだろう、とレインは兵士たちが組み合うのを止めなかった。周囲で見ている連中から野次が飛ぶ。連中は自分の給金を賭けているものだから、気が気でないのだろう。行軍には息抜きも必要だ。
上半身裸になって、下穿き一丁でぶつかりあう彼らを見ていると、女の身がもどかしくなる。自分が男であったなら、もっと早く強くなれたかもしれない。もうとっくに、母を助け出しているのかもしれない。
レインだって人間族にしては大柄である。男の平均を考えても大柄なほうだろう。だが、男の筋力と女の筋力ではやはり質が違う。重い装備をつけても素早く動けるように、槍を振るってもふらつかないように――日々、鍛錬は欠かさないが、それでも純粋に力比べをしたら、レインは目の前の彼らにも劣るだろう。
いかん、いかん、とレインは天を仰いだ。兵士たちが踏み荒らした青草の匂いが混じる空気を、肺いっぱいに吸い込む。自然と背筋が伸び、胸を張る格好になる。
弱気になってはいけない。胸を張らなければ。自分自身の中にある闇に飲まれそうになるとき、レインはできる限り胸を張るようにしていた。バルザーの闇の空間で、瘴気に苦しむレインにネメアがしてくれたように。
胸を張ると、少し気持ちが上を向く。またがんばれる気がしてくる。
木箱に腰かけたまま天を仰ぎ、脚をぶらつかせていたレインは、遠く馬蹄の音を聞いて顎を引いた。すぐさま歩哨がやってきて、アンギルダンが戻ってきたことを告げた。
陣内を大股でやってきたアンギルダンは、しかめ面を浮かべている。いかにも機嫌が悪そうだ。
「おかえり、どうだった」
アンギルダンの隣に並ぶようにして歩きながら、レインは軽い調子で首尾を尋ねた。すると、アンギルダンは頭を振りつつ、大きな手を振って応じる。やめじゃ、やめじゃ、と言外に言っている。
天幕に入るアンギルダンに、レインも続く。将几にどっかりと腰を下ろしたアンギルダンにすぐさま供回りの若い兵士が群がって、その重たい甲冑を脱がし始める。陽気のせいか額ににじんだ汗を手ぬぐいで拭きながら、アンギルダンはため息をついた。
「だめじゃ。話にならん」
レインは腕を広げて肩をすくめ、首を傾げた。将軍に随伴した将官に視線を送る。彼らも苦い顔でため息をついている。
どうやら、白虎軍のジラーク将軍とひと悶着あったらしい。いかにもお堅い学者風のジラークと、柔軟な行動派のアンギルダンでは相性がよろしくなさそうだな、とは思っていたが。
「アキュリュースに向かうのは無理じゃな。下手を打てば、白虎軍と交戦になりかねん」
アルノートゥンへ向かう、とアンギルダンは大きく息を吐いた。
「別に、アルノートゥンから落としても問題はないだろう。アキュリュースが白虎軍を突破して、こちらの尻に追いつくようなことはないと思うけど」
レインは言うが、アンギルダンは納得しかねる様子であった。ふと、アンギルダンに随伴していた将官がニヤニヤしている。
「え、何?」
レインが首を傾げると、聞いてくださいよ、と口を開く。
「あ、馬鹿もの」
アンギルダンが慌てたように腰を浮かした。どうやら、アキュリュースで何かあったらしい。
年甲斐もなく慌てるアンギルダンを無視して、レインは将官を引き寄せるようにして肩を組んだ。
「なに、なに? 何があったの?」
「こら、やめんか、レイン。そんなことは聞かんでよろしい」
「いや、実はですね……」
白虎軍はアキュリュースと交渉を持った。降伏せよと迫ったが、アキュリュースはそれを跳ね除けた。その交渉の場に、たまたまアンギルダンの一団が立ち会ったのだが――。
「アキュリュースの使者がえらい別嬪さんでしてね。将軍ったら、ぽけーっと見とれちゃって」
「マジか……」
「副将と同じくらいの歳の、金髪の美人でしたよ」
アンギルダンを振り返ると、彼はバツが悪そうなしかめ面であさっての方向を向いている。レインはその様子に、思わず頬を緩ませた。将官たちも笑っている。
「ちょっと、嘘だろ、アンギルダン。あんた、歳考えろよ!」
相手の娘はレインと同じような歳という。アンギルダンはいっても六十くらい――実際にはそれより十以上も歳を取っている――だろうが、それにしたって父娘、いや孫とじじいくらいの差はある。
レインとて、アンギルダンのチャーミングなところは好きだし、歳の割には若いと思う。戦場に立っているところはかっこいいとも思う。男として見たことはなかったけれど。
いいんじゃない、とレインは笑った。
「あんたのそういう、若いところ。好きだよ」
「そんなんじゃないわい。茶化すな」
アンギルダンは腕を組んで、むっつりと口をへの字に曲げている。太い眉を寄せて、はやし立てる若い部下たちを威嚇するように眉間にしわを刻んだ。
「……昔、逢うた女性と似ておると思っただけよ」
「あんたが女の話をするとは珍しいな」
レインは空いた将几に腰かけた。アンギルダンに先を促すような視線を送る。
「本気だったんだろう」
茶化すように言う。普段、色恋沙汰に縁遠いレインだが、若い娘の本性がうずくのか、こういう話は嫌いではなかった。あるいは、自分には遠いものを求めているのかもしれなかった。
レインの視線に、アンギルダンは少し言葉を詰まらせたが、やがて覚悟を決めたように口を開いた。
「まぁ、若いころの話よ。アキュリュースの水の神殿に仕える巫女でな、名をルフェイといった。優しく、美しい女で――わしはそのころアキュリュースの傭兵長をしておってな。まぁ、なんだ……お互い、惚れてしもうてな」
アンギルダンはそう言って、照れたように笑った。
「結婚しようかとも申し入れたが、周りに認めてはもらえなんだ。それ以来、会えなくなってしまっての。最期は、わしを庇って死におった。――もう十七年前の話かの」
十七年前といえば、バロルのアキュリュース侵攻と時期が重なる。今は猫屋敷でぐうたらしているあのネモが、闇の魔獣の軍勢を率いてアキュリュースに攻め入った。勇者ネメアの一行、父帝に反旗を翻したエリュマルクの軍勢、そしてアキュリュースへ集った勇士たちがこれを撃ち破り、その勢いのままエンシャントまで攻め上ったのは有名な話である。
その、『アキュリュースに集った勇士』たちを指揮したのが、この、目の前にいる老兵なのだろう。
ふーん、とレインは微笑んだ。人に歴史ありだな、などと思う。目の前の老兵が、そんな悲劇的な恋をしていたなんて、ちょっと想像がつかない。
「あー……ひょっとしたら、その人にゆかりのある娘さんかも知れないよ」
「……お主のような小娘に慰められるほど、耄碌はしとらんわい」
アンギルダンはもういつもの調子に戻っていた。こういうとき、レインはいつも思うのだが、大人はどうやって自分の気持ちを整理しているのだろう。時がたてば、感情に揺さぶられることなく、悲しみや怒りをこうやって語れるようになるのだろうか。
人がせっかく気を使ったのに――レインは呆れてため息をつく。こうなったら、遠慮なしに茶化してやるか。
「結婚を申し込んだって、何てプロポーズしたの? 指輪とか送った?」
もう忘れた、とアンギルダンはあからさまに嫌そうな顔をした。照れている。それから、ふと、
「いや……だが、旅の途中で見つけた人魚の鱗を、ドワーフの職人に加工してもらってな。イヤリングにして、送ったな」
あれはどうしたかな、とアンギルダンは首を傾げながら言った。
朱雀軍の進路は北に向いた。古の樹海を抜ければ、険しい山岳地帯が軍団を迎えた。当初の緩やかな行軍とは打って変わって、足場の悪い岩場を慎重に歩かねばならない。一応、街道らしきものはあったが、一歩でも足を踏み外せば切り立った崖の下に落ちるだけだ。目もくらみそうな高さの崖の下には、ごうごうと急流が逆巻いている。だが、その流れを見ることはできない。ただ音が聞こえてくるだけだ。
ジラークが朱雀軍をアルノートゥンへ行かせた理由がよくわかる。この道を、大軍が行くのは危険すぎる。朱雀軍が道を拓き、落ちそうな釣り橋を直し、落ちてくる落石を防ぎながら、この後白虎軍が行くであろう道を作っているのである。
しかし、いかに危険な道といえど、ここにいる朱雀軍は分断の山脈越えを乗り切った猛者ぞろいである。あのときと違って、急がなくてもいい、物資も多くあるというのは、彼らの心に余裕を生んだ。
また、彼らの工作はとてもよく優れていた。普段、ちゃらんぽらんが多いような言われ方をする朱雀軍だが、仕事自体は丁寧で早い。アンギルダンの号令で、大軍が通っても壊れないような釣り橋を瞬く間に作り上げ、危ない崖には柵を取り付けた。
アンギルダンは緩急のつけ方がうまいのだ、とレインは分析する。厳しい規律に縛られた軍といえども中身は人の集合体である。ずっと気を張っているわけにはいかない。
アンギルダンの立ち居振る舞いをよく見ておけ――南部侵攻の前にネメアがそう言っていたのを思い出した。
道を作りながらの行軍であったが、そのうちに終わりが見えてきた。先に行っていた白虎軍の先発隊と合流を果たしたのである。
アルノートゥンは高い山の中腹にある。そこに至る道は、下門と呼ばれる小さな昇降機しかない。魔法仕掛けの移動装置であるが、それはきっと止められているだろうし、よしんば使用できたとしてもあんな小さな昇降機ではいくらも人を送れない。送ったところで、出てきたところを袋叩きにされるのが落ちだろう。
さて、どうしたものかな、とアンギルダンは顎に手を添えた。
アルノートゥンの下門から少し下ったところを野営地に決めた朱雀軍は、そこに天幕を張った。もともと白虎軍も野営地にしていた場所である。
「アンギルダン殿、断っておくが、ここでの最高意思決定者はお主ではない」
アンギルダンの天幕にいるのは朱雀軍のなじみの将官仕官だけではない。今、発言したのは白虎軍の副将である。中年のコーンス――中年といっても彼らの寿命は人間よりずいぶん長い――で、いかにも神経質そうな顔をしていた。
アンギルダンは面倒そうに手を振りながら、わかっとるわい、と言う。
「だが、ここでこうして睨みおうてもどうにもならんじゃろう」
これまで何度か小競り合いはあったようだが、アルノートゥンは篭城を決め込むようである。どう補給するのか、というのはあちら側の問題だが、この天然の要塞を切り崩すのは難しいだろう。
「レイン、お主ならどう攻める」
アンギルダンが同じ卓に着くレインを見つめた。コーンスの副将はぎょっとしている。こんな小娘が副将を務めていることにか、アンギルダンが副将に意見を求めたことにか――あるいはその両方に驚いていた。
そうだなぁ、とレインは考える。脳裏には冒険者としてこの町を訪れたときの、町の様子が思い浮かんでいた。荒涼とした山肌にへばりつくようにある町。坂道が多く、古い坑道を加工して住宅にしつらえているような町だ。
「アルノートゥンは農耕に適さない。にもかかわらず、篭城に持ち込むというのは、どこからか物資を補給する手立てがあるということだろう。――町の近くに聖光石の廃鉱があったはず。あそこのどこかが町に通じているのだろう」
歩哨が立っているはずだ、とレインは言う。
「見つけるのは難しくはないだろうが、時間はかかる。――私は中から開けてもらうのも、ありだと思っている」
「いったい、どうやって中から開けてもらうというのだ」
コーンスの副将が言った。レインはちらりと彼を見て、それからアンギルダンに視線を戻した。
「交渉のための使者を送る」
「連中が応じるかの」
「知り合いがいる」
ふむ、とアンギルダンはレインの言葉を吟味するように、腕を組んで唸った。
「よかろう。ただし、平行して聖光石の廃鉱を探らせ、町への抜け道を探る」
アンギルダンがそう言って立ち上がったので、コーンスの副将はぎょっとして彼を見上げた。
レインは朱雀軍と白虎軍の中から、女性騎士を三人選んで、武装を解除させた。アルノートゥンには男が多い。女が出て行くほうが警戒されないだろう、というのがレインの考えである。
レインはアンギルダンの書状を持って、彼女らとともに下門の前に立った。はるか頭上に見張りらしき男の影がちらりと見えた。緊張が走る。
「待て! 武器は持っていない」
レインたちは両手を上げて、丸腰であることを示した。レインの声が山間に響き渡る。
「私は『稲妻』のレイネートだ。この町の封士イオンズと懇意にさせてもらっている。話がしたい。取り次いでくれ」
返事はない。レインは同じような言葉を何度か繰り返したが、やはり返事はなかった。
「……返事がありませんね」
朱雀軍の女騎士が言った。騎士たちは甲冑を脱がすと、いかにも普通の女である。
「無茶があったかな」
レインが首を傾げたときだった。目の前の昇降機が、ごとんっと音を立てた。ちょうどレインの木霊が消えたときだったので、その音はひどく大きく感じられた。
レインはさっと片手を上げた。彼女らの後ろの岩陰には、矢を番えた歩兵たちが伏せていて、万が一の場合にすぐさま攻勢に出られる準備をしていた。レインは、彼らに待てと指示を送ったのである。
昇降機から現れたのは、神官風の男とボルダンが二名である。
「イオンズ殿が会われる。ただし、サイレントをかけさせてもらう」
「かまわない。武器は携帯していない」
一応、レイン自ら随伴の騎士らのボディチェックはしている。彼女らには――恐ろしいだろうが――本当に丸腰でついてきてもらっていた。
屈強なボルダンの男たちが、こちらの体をまさぐるように武器の携帯を確かめる。無論、服の上からだが、不快なことに変わりはない。頭の上に両手を置いて、抵抗の意志はないと示しながらも、女たちは自分たちの体を探る男たちを睨みつけた。
武器を持っていないことを確認した後、神官が呪文を唱えた。すると、キラキラした光の粒のようなものが、こちらの口もとから喉の辺りにまとわりつき消えた。声を出そうとしてみる。出ない。
レインは頷いて、ボルダン二名に連行されるような形で昇降機に乗り込んだ。手錠がかけられる。ボルダンが神官に頷いてみせると、神官が昇降機のスイッチを押した。
体が浮き上がるような、水中に沈んでいた体が浮上するような感覚である。一瞬、目の前が白くなったかと思うと、次の瞬間には靴裏に地面の感覚が戻っている。
着いたとたん、昇降機の扉が外側から開けられた。高山特有の、乾いたような空気が昇降機内を満たす。神官が先に下り、ボルダンが彼女らを押し出すようにした。たたらを踏むように外に出ると、昇降機前の広場に傭兵の一団が待ち構えている。目つきの悪い男たちが、武器を手にして昇降機から降りてきた女たちを値踏みするように見ている。
レインは騎士たちを守るように前に出て、ぐいっと胸を張った。鋭い視線で傭兵どもを威嚇する。
すると、
「おお、レイネート」
傭兵の一団が割れ、その向こうから五十がらみの甲冑姿の男が小走りに駆け寄ってきた。もとから細い糸目をさらに細めている。彼が、この町の神官戦士イオンズである。
ティラの娘、という魔物がいる。闇の魔物とされるこれを、レインも何匹か始末したことがあった。ところが、このイオンズという男は、この闇の魔物を友人と称して町に住まわせていたのである。しかもあろうことか、このイズキヤルと名づけられた魔物は、この町の子守を担っていた。魔物は魔法で小さくなった体で、日がな一日、子供たちと鬼ごっこをしたり、かくれんぼをしたりしているのである。
ひょんなことから、そんな魔物と子供の鬼ごっこに参加させられてしまった経緯で、レインはイオンズと知り合ったのであった。
久しぶり、と言おうとして、レインは口を開いた。だが、当然ながら声は出ない。
イオンズは、おう、待て待て、と言い置いて呪文を唱え、
「クリア」
彼が力ある言葉を発すると、レインの喉のあたりに光の輪が現れた。光輪は、一瞬で消えてしまったが、レインは急に息がしやすくなったように感じた。
「あ、あー……やぁ、イオンズ。久しぶりだ」
咳払いで声の調子を整えて、レインは手錠をはめられた右手を差し出した。イオンズはそれを苦笑しながら握り締め、
「『稲妻』がディンガルについたというのは本当だったか。して、交渉だろう」
「いかにも、そうだ。無駄に血を流すこともないだろう、お互いに」
詳しい話を聞きたい、とイオンズはレインを天経院へと促した。
天経院はアルノートゥンの町の最上部にある。いくつもの坂を上り、眼下に針山のような険しい岩山を望める高さである。遠くに広がる古の樹海が黒い絨毯のように見える。レインたちがしがみつくようにしてたどってきた岩場の道は、細い糸のようだった。
聖光石の明かりに照らされた天経院の一室には、五人の老人が座っていた。半円状の卓に座した彼らは、一様に神官の格好をしている。レインは一人で彼らの前に立ち、イオンズが隣に立った。手錠は外されている。
レインが伴った騎士たちは、下の町にある宿屋で監禁されている。レインはそれを渋ったが、ノトゥーンに誓って彼女らには何もしない、と彼らは言った。
「ディンガル帝国朱雀軍副将のレイネート=オズワルドと申します。将軍からの書状を預かってまいりました」
レインは懐から、蝋封の押された封筒を取り出すと、それを傍らのイオンズに手渡した。イオンズはそれを、一番中央に腰かける一番歳を取った老人に差し出した。老人は歳を取りすぎて、干物のように見える。
老人たちはそれを次から次に回し読んでいく。いや、しわだらけのしょぼしょぼした目で読めているかどうかは傍で見ている分にはわからなかった。
「降伏を受け入れていただきたい。私たちは、何も戦がしたいわけではないのだ。ディンガルの軍門に下ると言ってくれるだけでいいのです」
レインは言ったが、老人たちは何やらむにゃむにゃ言っている。それから、例の干物みたいな老人が、震えるような声を出した。
「今、朱雀軍と言ったが……この書状には、白虎軍の統治下に入る、とあるな」
「西方を治めるのは白虎軍ですので」
レインは臆せずに言った。そのうち、最後の老人が書状を読み終わった。イオンズが書状を受け取り、そこに目を落としている。
「町を守っている傭兵たちと交戦したというのも、白虎軍と聞いたな。なぜ、白虎軍が使者を出してこないのかね」
「断られたと聞いております。私は、ここにおられるイオンズ殿と、個人的な友人で――」
レインがさらに続けようとしたときだった。イオンズが、あおっ、という変な雄叫びを上げた。
レインも、目の前の老人たちも、呆気に取られてイオンズを見やる。イオンズは書状に顔を埋めるようにして、ぶるぶると全身を震わせていた。
「あ、あああ、アンギルダン=ゼイエン! アンギルダン殿が、いらしているのか!」
書状を破くような勢いで、イオンズがレインに詰め寄った。レインは気おされてしまって、何度も頷く。
「う、うん」
「何ということだ! 神官長、私が保証いたしますぞ。レイネートとアンギルダン殿であれば、信用できるでしょう!」
イオンズは目に見えて興奮していた。鼻息が荒い。レインは呆気にとられて、ぽかんと口を開けている。
老人たちも同じ様子であったが、まぁ、と例の干物のような老人がむにゃむにゃ言った。
「イオンズ殿が言うのなら、お任せいたそう」
「よし、レイネート。早速、アンギルダン殿をお迎えしよう。詳しい話は、直接したい!」
レインはやはり頷くしかない。イオンズに引き立てられるようにして天経院を出るが、納得いかないものもある。
「私が言うのもなんだが……大丈夫か? その、町のこととか」
イオンズはレインの手を引いて、ずんずん坂を降りていく。はやる気持ちが目に見えて、今にもスキップしそうなほどだ。
「大丈夫だ。じーさんがたには町のあれこれを取り仕切るのは大変でな。実質、わしがやっておるのよ」
「なるほど……」
レインは少し考えて、このおっさん、実は偉かったんだな、と目の前を行く親仁のがっしりとした背中を見つめた。元傭兵らしく、イオンズは甲冑を着込んでいる。背丈はレインとほとんど変わらないが、体格はよかった。
「アンギルダンは私の上官だが……」
なにっ、とイオンズが振り返った。その拍子に、砂利が靴裏にこすれて大きな音を立てる。
「それを早く言え。だったら、こんな面倒なことはせんかったものを」
「いや……えーっと、知り合いか?」
イオンズはまた、ずんずんと進みながら、大声を張り上げた。
「知り合いも何も、恩人よ。命の、人生の。そして、心の師だ!」
険しいアルノートゥンの山間に、イオンズの魂の叫びがこだました。
◇ひとこと◇
将軍→一兵卒は無理があるというか、どうしても納得がいく説明ができそうになかったので、まだアンギルダンは将軍です。私の想像力の限界でした。