*オリジナル展開注意*
アンギルダンはレインを伴って、日暮れとともに朱雀軍の陣を飛び出した。暮れ行く夕陽を背にして、一路ドワーフ王国を目指して街道をひた走った。いくらも行かないうちに日は沈み、月が高く昇るころにドワーフ王国手前の宿場町に入った。今日はここで一泊するつもりである。
バイアシオンの大規模都市の多くは城塞都市で、日が暮れてから町の中に入るのは難しい。だが、こうした小さな宿場は交渉すれば門を開けてもらえることも多い。多少、嫌な顔はされるが、寝ているところを起こされればそれも仕方ないことだろう。
この小さな宿場で泊まると告げたアンギルダンに、レインは不思議そうな顔をした。
「こんなところでのんびりしてて大丈夫? 今日中にドワーフ王国は無理でも、もう少し距離を稼いでおいた方がいいのでは」
彼女の言い分はよくわかる。今のところ、追っ手はかかっていないが、アンギルダンとレインが帝国を出奔したことは、すぐに白虎軍に知れるだろう。本国への報告を待たず、追っ手は必ずかかる。特に、二人は今まさに、南部へ下ろうとしているのだ。手出しができなくなる前に、捕らえようとするだろう。
だが、アンギルダンは休むことを優先した。なぜなら彼らは昼間、甲冑を着込んでグラジェオンの足跡を泳いでいるのだ。今は自覚がなくとも、かなり消耗している。何より、これからどこにいるかもわからない敵を追わなければならないのだ。人間、ゴールが見えているのといないのでは、感じ方が全く違う。今、無理をする必要はない。
「南部に下るのは賛成だ。でも、私たちでロストールに入るのは危険すぎると思う。特にアンギルダン、あんたは王都に近づかんほうがいい」
小さな酒場の隅でかなり遅めの夕食を取りながら、レインはそう言った。
小さな町の小さな酒場は、月が高くなってもまだ明かりが灯っている。さすがに人は少なく、また残っているのも今にも潰れそうな酔っ払いばかりであった。
そんな酔っ払いを避けるようにして、アンギルダンとレインは酒場の一番隅のテーブルについている。さすがに飯はほとんど終わっていて、テーブルに運ばれてきたのは残り物をごった煮にしたシチューと硬くなったバゲットくらいしかない。
アンギルダンはゴブレットの中身を飲み干して、デキャンタから新たに酒を注ぐ。
「わしはリベルダムに行こう。あそこには情報が集まりやすい」
飯を食って宿屋に戻り、二人はそれぞれに部屋を取った。大部屋ではなく値の張る個室を取ったのも、次はいつゆっくり休めるかわからないという理由である。
狭い寝台、テーブルと椅子が一つずつ、といったありがちな安宿の個室である。
アンギルダンは日付が変わるころには床に入った。娘の残したイヤリングはテーブルの上に置きっぱなしだ。薄い窓ガラスを透かして差し込む月光に、イヤリングがきらりと光っている。
寝台に横になって、耳飾りの輝きを見つめているうちに、うとうとしてきた。まだまだ現役なつもりであるが、やはり、相当疲れていたらしい。そのまま、あっさりと眠りに落ちてしまった。
アンギルダンは夢を見た。霧の深い湖の上で、波に揺られている。乗っている小舟は、昼間脱出に使用したあの丸っこい舟だ。漕ぎ手はいない。ひとりで乗っている。小舟は潮に流されるように、ゆっくりと霧を裂いて進んでいく。
舟の舳先にはカンテラがかけられていた。魔法の光ではない。小さな橙色のちらちらとした炎が、ぼんやりとはっきりしない湖面を照らしている。
昼間のアキュリュースの攻防で、湖を渡ったからこんな夢を見ているのだ、とアンギルダンは思った。不思議なことに、アンギルダンはこれが夢であると確信を持っていた。この奇妙な状況にちっとも慌てていなかったのは、そのせいかもしれない。
小舟はゆらゆらと揺れている。漕ごうにも櫂もなかった。小舟の中央にどっかりと腰を下ろして、ちゃぷりちゃぷりと流れるに任せるしかない。そのうち、小舟はゆっくりと、小さな島に着岸した。まるで、誰かがテグスで舟を引っ張っていたような様子であった。
上陸したそこは、まさしく小島といった様子の島である。霧が深くてよく見えないが、緑色の下生えが島を覆っていて、奥には林がある。
芝生のような湿り気を帯びた下生えを踏みしめて、アンギルダンはその違和感に気づいて足を止めた。島を包む霧はとても濃く、伸ばした手の先も見えない。だというのに、なぜ奥に林があるはずだと知っているのだろうか。それも、そんな予感がするというレベルではない。確信がある。
わしはここを知っておる――アンギルダンは、思わず胸を押さえた。心臓がぎくりとした。そのまま心の臓が止まって、ぽっくりいってしまいそうな歳だが、そうではないと願いたい。
アンギルダンはざわめく胸を押さえながら、その下生えの上をのっしのっしと歩いていった。深い霧のヴェールをくぐり抜けて島の奥に進むと、案の定小さな林があらわれた。林を抜けた先に、古い遺跡のようなものがあるはずだった。都のほうからはこの林が陰になって、ちょうど見えないのだ。
林の中に入って島の奥へと向かうほどに、霧がだんだん晴れてきた。黒い木立の合間には道らしき道はない。立ち並ぶ針葉樹の列を抜ければ、薄い青色をした空が見えてきた。
ちらりと背後の林を振り返れば、木々の合間から青緑色をした湖が陽光を浴びて輝いていた。島まで乗ってきたあの小さな舟は、影も形もなかった。ただ、山のような形をしたアキュリュースの本島が、青く煙るようにしてそびえ立っている。
アンギルダンの目の前には風化したレンガ造りの、崩れた遺跡があった。遺跡は辛うじて、何かの建物があったのだとわかる程度にしか残っていない。赤いレンガがアーチを作っているが、壁が崩れているために門の意味を成していない。霧はすっかり晴れていて、遺跡の向こうに輝く湖面が波を立てている。
その遺跡に女がひとりいる。崩れた壁の一部に腰かけて、こちらに背を向けていた。
ああ、とアンギルダンはぼんやりとした。この光景を、アンギルダンはよく知っている。
薄水色の衣を翻して、女が振り返った。結い上げた金髪の、後れ毛の中で、青い鱗の耳飾りがきらめいて揺れている。その向こうに見える湖面の輝きにも負けないほど、女は美しかった。
「……お久しぶりですね、アンギルダン様」
女が言った。紅をひいた唇が色っぽく艶めいている。アンギルダンを見つめる青い目が、湖面のように揺れていた。
女は――ルフェイは、彼と恋をしていたころと何ら変わらぬ、若々しい姿でアンギルダンの前に立った。ルフェイの、長いまつげに縁取られた美しい大きな瞳に、ひとりだけ歳を取ったアンギルダンが映っている。
どうせ夢ならば、自分も若くしてくれりゃよかったのに……――アンギルダンは自分の想像力のなさを呪った。それが顔に出ていたのか、ルフェイはいつかと変わらない美しい笑顔を見せた。小ぶりな唇を白い手で隠すようにして、くすりと笑う。
それに、少し切なさを感じた。胸の奥がずきりと痛む。アンギルダンはごまかすように、深いしわを刻んで笑う。
「久しぶりだのぉ。しばらく会わんうちに、わしゃ、こんなじじいになってしもうたわ」
うふふ、とルフェイはまた嬉しそうに笑った。
「素敵なおじ様になられましたね」
「おじ様か」
アンギルダンは呵々と笑った。その豪快な笑い声に、つられるようにルフェイも笑った。華奢な肩を揺らしながら、愉快そうに笑うのだ。
その笑顔に、アンギルダンは胸を締め付けられるような、たまらない気持ちになって、ルフェイのなだらかな頬にそっと手を触れた。壊れやすいガラス細工に触れるような、そんな手つきであった。
彼女の白い頬にアンギルダンの指先が触れたとたん、さっと赤みが差した。はにかんだ顔が美しかった。
ルフェイは潤んだ青い目を伏せて、自身の頬に優しく触れるアンギルダンの大きな手を取った。白魚のような華奢な手だった。
「アンギルダン様、どうか、イークレムンを助けてくださいませ」
「うむ……あれはわしの娘だろう。そのイヤリング……」
アンギルダンが、ルフェイの顔の横で揺れている耳飾りに触れると、ルフェイは愛しそうに彼の手に頬ずりをした。
「申し訳ございません……。あなた様に一言も告げぬまま、あの子を……」
「何を詫びるというのじゃ。こんなに嬉しいことはないぞ。あんな……――イークレムンはお主に似て、美人じゃ!」
ルフェイは泣きそうな顔をして、アンギルダンを見上げた。その顔が、できることならばアンギルダンとともに夫婦になって、娘を育てたかったと言っている。あなたと生きたかった、と――。
アンギルダンはたまらなくなって、ルフェイの華奢な体を抱きすくめた。その気持ちは、アンギルダンとて同じであった。彼女と夫婦になって、家庭を持ち、可愛い娘を二人で育てられたら、どれほどの幸せだったろう。
ルフェイはアンギルダンの分厚い胸板に顔を埋めて、
「あの子は、竜骨の砂漠のラドラスにおります……。どうか、どうか……」
と細い肩を震わせた。
助ける、とアンギルダンは大きく頷いた。
「必ず助ける。我が娘、イークレムンは、このアンギルダンが必ずや助け出すぞ」
疲れている自覚がないからといって、疲れていないというわけではない。宿屋に戻って早々に横になったレインは、気絶するように眠ってしまった。装備をつけたままの遠泳や、ほぼ休憩なしの乗馬は意外なほど体に応えたらしい。
夢も見ないほど深い眠りの中にあったレインは、突然のけたたましい音で目を覚ました。夜具の中から頭を起こして、寝ぼけ眼を無理やり開けてみれば、どうやら部屋の扉が叩かれているようである。窓を見る。まだ、外は薄暗かった。夜明けが近いようだが、それにしたって起き出すにはまだ早い。
くそ……――眠い目をこすりながら、はい、と不機嫌そうな返事をすると、宿の親仁らしい声が返ってきた。
「『稲妻』のレイネートさん?」
「そうだけど……」
レインは夜具から這い出すようにして身を起こした。すっきりしない体を無理に動かして、立ち上がる。それとほとんど同時に、今度はいくらか聞きなれた声がドアを叩いた。
「レイン、俺だ、ヴァンだ。開けてくれ!」
「ヴァン、ちょっと落ち着きなよ」
やかましいほうはヴァンで、たしなめているのがナッジだ。そのことに気づいて、寝ぼけていたレインの頭が一気に覚醒した。
慌てて扉に駆け寄って、錠を外すと、転がるようにして旧知の仲間が飛び込んできた。宿屋の親仁が迷惑そうな顔でこちらを見ている。レインは荷物袋の中から財布を取り出すと、いくらかギアをつかませて親仁を追い払った。
「どうした」
部屋の戸を閉めながら振り返ると、ヴァンの顔が眼前にあってぎょっとする。
「あいつだ。シャリだ!」
「シャリがどうした」
「エステルをさらったんだ」
ヴァンの言葉をナッジが引き継いだ。彼はヴァンほどレインの近くにはいなかったが、それでもヴァンの少し後ろに立っている。
「シャリがエステルをさらった?」
エステルがさらわれたのは十日ほど前のことだという。ちょうど、イズキヤルの騒動が起きるか起きないか、という頃合いである。白虎軍を監視していた朱雀軍の兵士の報告では、姿を消した、と言っていたが。
てっきり白虎軍の本隊と合流したと思っていたが……――レインは考える。白虎軍に合流する前にエステルをさらい、その後、アキュリュース攻めに参加したということだろうか。そして、今度はイークレムンをさらった。
「僕ら、ちょうど、エンシャントにいたんだ」
ナッジが言った。エンシャントの宿屋で休んでいたところを、シャリにさらわれた、と。
エステルを探そうにも、居場所がわからない。困った二人は政庁にレインを訪ねに行った。すると、いないという。レインは朱雀軍とともに西方攻略に従軍したと告げられた。
「それで、ちょうど、ここに『稲妻』が来てるっていうから」
名は売っておくものだ。ひょっとしたら、行き違いになっていたかもしれない。
レインはことの経緯を二人に説明した。
「――そういうわけで、水の巫女イークレムンもさらわれてしまって。手がかりがほとんどない。一応、前にロストール王宮に出入りしていたから、そこを当たろうかと思ってる」
「王宮なんか、どうやって出入りすんだよ」
「あいつは宮廷道化師らしいんだ」
違ぇよ、とヴァンが言った。彼は話をする間に図々しくも、レインの寝台に座って胡坐をかいている。ナッジは部屋のテーブルに備え付けの椅子に腰掛けていた。
「お前がだよ。知り合いでもいんの」
「いや、裏口があって……」
ロストール王宮に公式に訪れたことはあったが、あれはロクサーヌとしてレムオンに随伴しただけであった。よく知らない貴族連中に、ロクサーヌはちゃんと仕事をしています、とお披露目して、最後にティアナ王女へ挨拶をして帰る。レインにとっては苦痛以外の何ものでもない仕事である。
王宮に入り込むには、もう一つ非公式なやり方がある。つまり、レインがたまにアトレイア姫の離宮を訪ねるときのやり方である。
銀竜の首飾りという魔法の品がある。アトレイア姫の視力を取り戻すときに、シャリからもらったものだ。ロストール王宮がある丘の下に、古い竜王の道祖神が並んでいる。そこで銀竜の首飾りをかざすと、秘密通路が現れるようになっていた。
おそらく、王族の秘密の脱出通路だろう。よく考えれば、それが一時的にとはいえ敵国将官の手元にあったというのは、由々しき事態だ。もっとも、レインの知ったことではない。
銀竜の首飾りを説明している途中で、レインははっとした。
「そうだ。首飾り――!」
エステルも首飾りを持っている。由来はよく知らないが、ラドラスの砂漠の民はみなこの首飾りを持っている。こちらも何らかの魔法の品とみえて、対になった水晶と引かれあうのだ。
以前、エステルと出会ったばかりのころに、砂漠に落とした首飾りを拾ってきて欲しいと頼まれたことがある。首飾りはエステルに返したが、水晶はそのままレインが持っていていいと言われた。理由はよくわからないがエステルがどうしてもというので、それ以来、水晶を預かっている。
レインは道具袋の奥底に入れている貴重品入れの巾着を取り出した。
旅の道具のほとんどは、エンシャントの宿舎に置いてきた。しかし、ザギヴの一件で痛い目を見たレインは、小さな背嚢に必要最小限のものを詰めて持参していた。
もとがただの村娘であるレインは、幸いにして裁縫が得意であった。この道具袋にしている小さな背嚢は、端切れを使って二重底に加工してある。さらに余った布で巾着を作った。『束縛の腕輪』も巾着に入れてあるが、伝説の神器がこんなぼろの巾着に入っているというのもおかしな話である。
レインは巾着の中から手の平に収まる程度の、小さな水晶球を取り出した。一応、金属製の台座にはめ込まれている。巾着の中に入れっぱなしなのに、ちっとも曇る様子がない。
水晶をテーブルの上に置いて、三人で額をこすり合わせるようにして覗き込んだ。とたんに水晶はその視線を感じ取ったように、ちかっちかっと何度か明滅を繰り返したではないか。
光の点滅が治まると、澄んでいた水晶の中心に白い靄のようなものがかかった。塵のようなそれは、徐々に大きくなって水晶中に広がった。かと思うと、次の瞬間には青と黄色のマーブル模様に染まり、見る見るうちに青と黄色が上下に分かれたではないか。そこに映し出されたのは、竜骨の砂漠である。黄色い砂が砂漠の風に吹かれて舞い上がる様すらも観察できる。水晶に映し出された光景は、それほど鮮明で現実味があった。
水晶の映像は、高速で砂漠を進んでいく。その内、青い空と黄色い大地が青と黄色のマーブル模様になったかと思うと、すぐに虹色の輪になってしまった。一瞬の後に、今度は砂漠の中にそびえ立つ三角錐の黒い尖塔が映し出された。映像は再び虹色の輪を映し出しながらその尖塔の中に進み、九つの石柱が立ち並ぶ大広間を映し出して消えた。
「ラドラスだ!」
三人は顔を見合わせた。
レインがアンギルダンの部屋のドアを叩くと、早朝にもかかわらず、開いておる、という鷹揚な返事があった。
扉を開けると、アンギルダンはすでに起き出して、いつもの赤い甲冑を着こんでいるところであった。白み始めた東の空を背にして立つ老兵は、晴々として、覚悟を決めたような顔をしていた。
彼がもう三十も若ければ、レインはこの男に恋をしていたかもしれない。それほど、男前の顔をしていた。
「アンギルダン、イークレムンの居場所がわかった」
戸口に立ったままレインが言うと、アンギルダンは太い指で白い髪を後ろに撫でつけながら、
「ラドラスじゃろう」
と頷いた。
レインは驚いて、ぽかんとしてアンギルダンを見やった。
「え……何で、知ってるの」
「ルフェイが……あれの母親が、教えてくれたのよ」
女とはすごいのぉ、とアンギルダンはテーブルに置かれていたイヤリングを、大事そうに取り上げた。そうして大きな手の平に載せた耳飾りを、愛しそうに見つめた。
その顔が、レインには何だか壮年の男のように見えた。きっとその耳飾りを送ったころには、この老人はそんな顔をしていたに違いなかった。
「して、お主のほうはどういういきさつじゃ」
あ、ああ……、と呆気にとられていたレインは、何度か瞬きをした。
「私の友人もあのシャリという小僧にさらわれてしまった。理由はわからないが、おそらく、イークレムンと同じだろう」
なるほど、とアンギルダンは力強く頷いた。その厳めしい面構えは、いかにも歴戦の戦士めいている。普段の好々爺然としたアンギルダンとは違って、相対していると背筋が伸びるような緊張感があった。
「行くぞ、レイン。竜骨の砂漠へ、急ぐのじゃ!」
◇ひとこと◇
アンギルダンとルフェイの夢の逢瀬は、絶対に書きたいシーンでした。
しかたがないんだけど、ゲーム中ではルフェイは主人公に呼びかけてきますが、そこはアンギルダンに呼びかけてやれよ、と無念でなりません。