エンシャント城地下の練兵場では、朱雀軍の傭兵が訓練の真っ最中である。傭兵を広く募集しているが、使い物にならないものに払う金はない。また、傭兵には専用の部隊を組むが、あまりに軍規を乱すような輩はやはりふるい落とさねばならない。
「傭兵どもの具合はどうだ。使い物になりそうか」
練兵場にやってきたレインを見て、訓練に当たっていた黒鎧騎士が敬礼をよこした。
アンギルダンは傭兵を重用した。もともと冒険者であり、自身も傭兵としての生活が長かったせいだろう。
まぁまぁですな、と騎士が言った。そのときだ。
「おーい、レイン」
「レイネート様!」
群がる傭兵たちの中から呼びかけられて、レインは練兵場へと顔を向ける。人を押しのけて駆け寄ってきたのは、赤いリルビーと青い女の子だった。
「レルラ……と、げぇ、ユーリス!」
リルビー――ベテラン冒険者レルラ=ロントンはレインの傍まで駆け寄ってくると、彼女を上から下まで見回した。
「ふーん。あの『稲妻』がディンガルに付いたっていうからさ。見に来た」
レルラ=ロントンはそう、子供のような顔を笑顔で歪めた。
かつて、あのオズワルド村が健在だったころに、レインが出会った冒険者である。ドワーフ王国で再会を果たしたとき、レインはすぐに彼に気づいたが、レルラ=ロントンのほうはレインのことを忘れていた。
君はたくさんのキレイを知っている気がする――そう彼は言い、たまに冒険を共にすることがあった。
ユーリスのほうは――。
「レイネート様ったらひどいじゃないですかぁー。ディンガルの傭兵になるなら、言ってくださいよ」
「ユーリス……」
「ディンガル軍で戦功を上げれば、魔道アカデミーに戻れるかもしれないじゃないですかー! 血なまぐさい戦場に咲く一輪の可憐な花……唸る魔法、上がる鬨の声――そして導かれる勝利! 『ユーリスくん、君の働きはすばらしい』『皇帝じきじきの頼みだ。ぜひ魔道アカデミーに戻ってくれたまえ』『特待生としてぜひ!』――なんて! きゃー!」
ユーリスは声色を変えて、一人芝居を演じ、キャーキャーと叫声を上げている。
そんなこったろうと思ったよ……――レインは思わず頭を抱えた。隣に並び立つ黒鎧騎士が、呆気に取られている。
「お知り合い、ですか?」
「否定したいけど……残念だ」
レインの表情は、心底、残念そうである。レルラ=ロントンがそんな様子を見て笑っている。
二人の実力はわかっているが、ほかの連中はどうだろう。レインは集まる傭兵たちに目を向けた。ユーリスがまだごちゃごちゃ言っているが、相手をする気にはなれない。
レインは靴音を響かせながら練兵場の砂地の上へ降りた。壁に無造作に立てかけられた練習用の槍を取り、手の中でくるりと回してみせる。
「せっかく集まってくれたんだ。話ばかりもつまらないだろう。どうかな。肩慣らしでも、してみないか」
私に勝てれば、報酬とは別に十万ギア払おう――レインの言葉に傭兵たちの間からどよめきが上がった。十万ギアとは破格の金である。正直に言って、その金がもらえるならば命をかけて傭兵なんぞしなくてもいいだろう。
傭兵たちは、レインを確かめるようにためつすがめつしている。確かに、『勇猛なる稲妻』という大そうな肩書きを持っているが、レインの見た目は女の子である。多少、大柄で、体格はいいほうだが、それにしたって腕っ節に自信のある男からしてみれば、組み伏せるに容易そうに見えるのだろう。
「僕、パス!」
レルラ=ロントンが言った。正直言って、彼には期待していない。
「私もイヤです! 素早いクローギガースと戦うみたいなもんじゃないですか」
「……ユーリスはちょっと黙っててくれ」
槍を回しながら、レインはため息をついた。ユーリスは色んなものにレインを例えるが、今のところすべてよろしくないものである。
「本当に、払えるのか」
そんなざわめきに応じたのは、レインではなかった。
「わしが払おう」
練兵場中に響く声に、みなが振り向いた。南棟へつながる練兵場の入り口に、赤い甲冑姿の老兵の姿がある。威風堂々とした居住まいの彼は、レインを見て、並びのいい歯を見せて若々しく笑った。篭手に覆われた片手を上げて、よぉ、と言う。
傍らに立つ騎士が敬礼しているが、レインはちょっと片手を上げて挨拶しただけだった。
「で、どうする? 将軍じきじきの申し出だけど」
真っ先に、やろうと申し出たのは、いかにも傭兵で飯を食っているような風体の男であった。ボルダン族ではないが、巨漢である。
泣き言を言うなよ、と男が脅すように言うので、レインは肩をすくめて見せた。
男の得物は大剣である。両手で持って振り回すような大物で、しかも真剣である。一方、レインのほうは練習用の木の槍だ。硬く乾燥させているとはいえ、攻撃を受け止めるのは無理である。
「いつでもどうぞ」
人の群れが割れて、練兵場の中央が広く開く。レインは巨漢と対峙した。大剣を正眼に構えた男に対し、レインは非常に無造作であった。右手に槍を携え、脚を少し広めに開いて立った。構えているというより、棒立ちのようにも見える。
大剣が羽虫の羽音のような唸りを上げて風を切った。振り下ろされた刃を、レインは体をひねって避ける。巻き起こった風がレインの黒髪を揺らした。
観衆の野次が飛ぶ。
二度、三度と風を切って切り払われた刃を、レインは寸前まで引きつけてから最小限の動きで避けていく。彼女が足を運ぶたび、練兵場の砂が巻き上がった。
大上段から振り下ろされた大剣を、さっと体を横にして避ける。レインは、槍を振り上げた。彼女のあだ名の通り、稲妻のような一撃が男の左肩を襲った。まさに、雷鳴にも似た音が練兵場に響き渡った。その一撃に、観衆がびくりと身を震わせる。
槍から骨が砕けた感触が伝わってくる。男が呻いて膝をつく。その側頭部を、レインの槍が殴打した。こちらもなかなかの衝撃である。男の大きな体が、もんどりを打つ間もなく横転した。こめかみの辺りに血がにじんでいる。男はピクリとも動かないが、別に殺したわけではない。傭兵としては使えないだろうが――。
「十万ギア、惜しかったな」
と皮肉めいた笑みを浮かべたレインは肩をすくめ、すぐに顔を引き締めてアンギルダンの元へと駆け寄った。それから、一際、かっちりとした敬礼をしてみせる。
「ご帰還をお待ちしておりました。アンギルダン将軍」
うむ、とアンギルダンは鷹揚に頷いた。
場所を彼の執務室に移して、レインとアンギルダンは先ほどとは打って変わって、普段のように会話している。
「傭兵どもをお主に任せて正解だったわい」
そう言って、甲冑を脱いで――かといって士官服を着ているわけでもない――シャツ一枚になったアンギルダンは笑った。
アンギルダンが座る執務机の椅子は、普段いない主を支え、ぎしりとその体を軋ませる。使う機会の少ない机のほうは、綺麗なままだ。
レインのほうは応接セットのソファに腰掛けて、もたれかかるようにして座っている。背もたれに腕を回し、脚を組んで――どう考えても上官と部下という感じではない。
「あの男には悪いことをしたけど――」
レインは苦笑する。
「これで、勝手なことはしないんじゃないかな」
冒険者というものは、良くも悪くも実力主義だ。仕事に徹することができる者もいるが、いかに自分より身分が高かろうが実力のないものについてこない者もいる。軍規に緩い朱雀軍だが、作戦遂行中に勝手なまねをされては困る。
「それで、ロストール軍はどうだった? 食いついてきた?」
レインが軽い調子で言うと、アンギルダンは苦笑した。顎を指でなでさすりながら、
「それがな、かわいそうなくらい引っかかってくれてのう。敵ながら心配になるわ」
ここのところ、アンギルダンは洋上にいた。内海の、竜王の島あたりで海戦訓練の真似事のようなことをしていたのである。すべてはロストール軍に朱雀軍が南下するのに、船を使うつもりであると思わせるための罠である。
アンギルダンが言うには、ロストール軍は王都からリベルダムへ通じる街道を封じ、リベルダムの港に軍船を用意しているそうだ。
「それは……ご苦労だな」
レインは苦笑を禁じえない。
かつて、バロルの治世にその圧政に耐えかねた国民が、一斉蜂起したことがあった。それに乗じてロストールがロセン王国を巻き込んで、ディンガルに攻め入った。このディンガル・ロストール紛争の際も、ロストール軍は海路を使って北上し、ロセンの港を経由した。
有史以来、軍勢が分断の山脈を越えたことはない。天候の影響も受けず、綺麗に整備されたドワーフ王国の地下街道を行くのならともかく、軍を率いて山脈を越えるのは不可能だといわれている。戦争とは、物と人が大量に移動するのだ。
だが、アンギルダンはその山脈越えをなそうとしている。海戦の準備を進めているように見せたのは、単なる囮だ。そのため、山脈から王都へ続く街道はがら空きだそうだ。
理屈はわかるが、やろうとする馬鹿はいない。目の前の、豪胆なこの老人を除いて。
「そういえば、お主、聞いたぞ」
そう言って、アンギルダンは楽しそうににやりと笑った。
「え?」
「ネメア様に稽古をつけてもらったとか」
ああ、とレインは頷く。
「うん。何度かね」
あれから、幾度となく、その機会をもらった。
またおいで――そう言ったのはネメアだった。たとえそれが、ただの社交辞令だったとしても、これは好機だとレインは遠慮をしなかった。貪欲に強さを求めるレインに、ネメアも何も言わずに付き合った。
槍を取れない日には、古い戦やネメアの立った戦場の話をした。どう兵を用いるのか、どう敵を追い込むのか――ネメアは自分の知識と経験を、すべてレインに注ぎ込むようであった。レインもまた、それを一滴残らず吸収しようと努力した。
だが、時間は足りない。いくらあっても足りない。
「先ほどの、あれもよい立ち回りだった」
「ありがとう。少しでも成長できているのなら、何よりだ」
訓練の相手が相手だけに、レインは自分の成長を実感できないでいる。
稽古といったって、ネメアのやり方はほとんど実戦に近い。ネメアの指導が入ることもあるが、基本的に無言で一晩中、戦うのである。しかし、何度かやりあっても、レインはまだネメアに一打も入れられていない。だが、ネメアの槍は的確にレインの体を打ち据えるのだ。それが、何とも悔しいのである。
「しかし、うらやましいもんじゃな」
「何が」
「ネメア様の槍を受けて、立っておれた者など、かの剣聖くらいしか聞いたことがない」
レインは一瞬、どういう意味かを図りかねた。だが、すぐにその真意に気づいて苦笑する。
「だって、私のは稽古でしょ」
「ネメア様から槍の扱いを教わった者など、おらんということだ」
ぱちくりと、大きな目をしばたかせたレインに、アンギルダンは我が事のように嬉しそうに笑う。
「期待されておるのう」
上官の言葉を、レインは苦く笑った。
神聖王国暦一二〇三年五月――新緑の芽吹く分断の山脈をディンガル朱雀軍が行軍していく。この山脈越えのために、季節が安定するのを待っての決行である。山脈には三月半ばまで雪が残るし、その後には春の嵐が来る。かといって、あまり遅くすると今度は夏の日差しをまともに浴びることになるのだ。
この作戦の要はその足の速さにある――とアンギルダンは言った。のろのろと進んでいてはロストール軍に気づかれてしまう。平坦な街道を戻ってこられては、険しい山道を行くディンガル軍では追いつけないだろう。ゆえに、このアンギルダンの山脈越えはまともに休憩も取ることなく、ほとんど三日程度でなされてしまった。
朱雀軍は二千の騎兵と三千の歩兵を連れていたが、強行軍で脱落者も多く、山脈を越えきったときには、軍勢は三千にまで減っていた。
バイアシオンの戦で騎兵といえば、馬ではない。荷を引かせるのに馬は使うが、騎乗するのは大きなトカゲである。硬い鱗を持った、竜に似た大きな爬虫類であるが、翼がないので竜ではない。強靭な後ろ足をもち、馬とほとんど同じ速度で走る。また、力が強く、重装備の騎士を乗せてもほとんど速度が落ちない。鱗が変形した鋭い棘や角を持っていて、いかつい顔をしているが、草食性で気性は穏やかであり、人によくなつく。
だが、二本足で走るため馬より安定しにくく、巨体のバランスを保つための尾が長いため車も引けない。そのため、戦でしか使われないので、軍馬といえばこれである。
ディンガルの主戦力は、この騎兵であった。バイアシオンの歴史を知るものなら、おかしな話だと思うかもしれない。
かつて、騎兵といえばロストールの騎竜隊が有名であった。大陸最強とまで呼ばれた騎兵部隊で、歴史上何度もぶつかったディンガルとの戦では常勝している。というのも、ロストールは平地が多く、馬を乗り回すのが昔から一般的だったのに対し、ディンガルは森と丘陵地帯が国土のほとんどを占めていたので馬に乗る文化がほとんどなかったのである。
これを大改革したのが、かつて国土統一を成し遂げたバロル配下のアンギルダンであった。
ディンガルにも馬に乗る文化がなかったわけではない。丘陵地帯を馬に乗って駆け回る連中がいる。そう、ディンガルでは少数民族の遊牧民たちである。
身分制度が残っていたころのディンガルでは、彼らは下民とされていて重用されなかった。ところが、バロルは彼らを中心に騎兵部隊を作り、その機動力を生かして国土統一を成し遂げたのだ。その立役者が、遊牧民出身のアンギルダンなのである。
それから六十年余りが経つ中で、何度もディンガル帝国の将軍を担ってきたアンギルダンは、これら騎兵の質を上げることに注力してきた。そして、今、軍馬の質も騎兵の実力も申し分なしと考えている。
アンギルダンは山脈裾野の森林に兵を隠して休ませると、今度は街道沿いの宿場を次々と攻め落とした。というのも、ロストール軍は戦力のほとんどをリベルダム側の街道に集中させていた。宿場を守るのは少数で、しかも、不可能と思われた山脈側からの敵襲に戦意を喪失していた。彼らはほとんど、抵抗を見せないまま投降したのだった。
ロストール軍とディンガル軍がまともにぶつかったのは、王都が望める平野でのことであった。
「意外に足が早かったの」
アンギルダンは将軍に割り当てられた天幕で、なじみの赤い甲冑に身を包んでいた。目の前には事前に作らせていたロストール領内の正確な地図がある。
それを指でなぞりながら、レインは偵察部隊からの報告をまとめる。
「斥候によれば、敵の陣形が整うまで、まだ時間がかかるようだ」
愛用の甲冑に身を包んだレインが、アンギルダンの隣についている。大きな木製のテーブルに載せた地図に、身を乗り出すようにしてレインは続けた。
「ここにいるのがロストール軍のすべてというわけではないようだが、大半の貴族は集まっている」
それから、とレインは続けた。
「王都には守備隊が残っている。こちらは数が少ないが、兵の錬度は高い」
王都守備隊の報告を受けたとき、レインははっとした。報告を持ってきた騎士は気づかなかっただろうが、レインはわずかに動揺した。王都を守るのはエリエナイ公の私軍であるというのだ。
エリエナイ公――レムオン=リューガの顔が、レインの脳裏を掠めた。ノーブル伯に任じられて以来、ロストールに寄ればリューガの使用人に捕まって城まで連行されたこともあった。だが、レイン自身があの邸宅に立ち寄ったことはない。何といっても、立ち寄らねばならない用がこちらにはなかった。
ひと時とはいえ寝食をともにした者を相手に戦をするというのは、なかなか複雑なものがある。もっとも、それがレインを引かせる理由にはならないが――。
「守備隊は動かんじゃろう」
ディンガル軍の諜報部は優秀である。エリエナイ公と王家の軋轢を、よく知っている。エリエナイ公が王都に後ろを見せれば、後ろから王軍に刺されかねない。
難儀な国よな、とアンギルダンが笑うので、レインは少しだけ肩をすくめて沈黙した。
「それにしても、お主の初陣じゃ。必ずや勝利で飾ろう」
アンギルダンがそう言ってレインの肩を叩き、ばちっとウインクをして見せた。それが何とも堂に入っている。嫌味な感じがない。
レインは思わず硬い表情を崩して笑った。チャーミングなじい様である。女を口説くのは苦手とか言っていたが、なかなかどうしてきゅんと胸に来るではないか。
レインは茶化すようににやりと笑って言った。
「あんた、若いころは結構女を泣かしたろ」
開戦の日、天気はすこぶるよかった。雲はわずかにあったが、快晴である。空の青と平野を埋める下生えの緑が、鮮やかだ。鮮やか過ぎて、誰かが絵の具でも塗ったかのようである。その青と緑の中に、黒い軍勢と白い軍勢が隊列を組んで並びあった。西向きの風に両軍の旗がはためいている。
ディンガル軍は後方の守りに二百を置き、二千五百を平野に展開した。残りの三百は周囲の丘陵に伏せさせてある。傭兵と歩兵を前列に置き、後列に黒鎧騎士を置いた。中央に厚みを持たせた、弓なりの陣形である。両翼には騎兵を置き左翼側をレインに任せた。
対して、ロストール軍は五千に満たない程度の大軍であったが、そのほとんどはリベルダム側の街道を慌てて引き返してきた連中である。準備も整わず、食うや食わずで陣を展開させるしかなかった。大軍のほとんどは歩兵だ。というのも、ロストール軍のほとんどは徴用された農民である。農民は馬に乗れない。
布陣はディンガル側とほとんど同じ、バイアシオンの伝統的な陣であった。中央に歩兵を置き、左右に騎兵を置いている。中央の歩兵は矢じりのように真ん中が突出していた。数で勝る歩兵を突撃させて、ディンガル軍の中央を突破しようという腹積もりらしい。
開戦と同時にディンガル軍は前進を開始した。対して、統率の取れていないロストール軍はゆっくりと前進するしかなかった。
左翼の騎兵を率いたレインは、その最前列に躍り出た。普通、騎乗するのに丈の短いスカートははかない。せめて、丈の長い下穿きをはく。鞍と素肌がすれると痛いからだ。
けれど、レインはあえて短いスカートをはいて、白い太ももを惜しげもなくさらした。女が前線に出ていることをわからせたかった。
ロストールに女軍人というものは存在しない。まれに――ノーブル伯がそうだが――騎士の称号をもらう女があっても、ディンガルのように実際に戦場には立たない。
武器になるものを惜しむな、とはネメアの教えである。
案の定、ロストール軍の騎兵たちは、最前線に立つのが若い女であることにすぐに気づいたようだった。彼女を見くびった彼らは、レインの振るった槍の前になす術もなく倒れることになる。
馬上のレインを引き倒そうと、騎士に随伴した歩兵が鉤爪の付いた槍の穂先を向けてくる。だが、レインの振るった槍はそれよりも強かった。歩兵の槍の柄ごと、彼らの首を刈り取っていく。切り結んだロストール騎士の剣を弾き飛ばし、その鎧の上から槍を突き立てる。
馬上で大きく振り回した槍は、回転が加わってさらに重さを増した。ひき潰すように穂先が歩兵の鎧ごとその肉とはらわたに食らいつく。レインはぐんっと腕が体ごと、背後に引っ張られるのを感じた。それをものともせずに、強引に引き戻す。その拍子に穂先を汚した敵の鮮血が散った。
「撃っちまーす」
高らかに宣言する声が後方から聞こえて、レインは慌てた。
「退避! 退避ーっ!」
レインの怒号に軍鼓が激しく鳴った。突然退却し始めたディンガルの騎兵に、ロストールの騎兵が俄然やる気を出して追ってくる。もちろん、レインが恐れているのはロストール軍ではない。
「あ、そーれ」
のん気なかけ声とともにユーリスが放った魔法が、弓なりに弧を描いて飛翔した。真っ赤に燃えた火球が、ひょろひょろと蒼穹に赤い軌跡を描きながら人の波のど真ん中に着弾した。次の瞬間、敵も味方も関係なしに草原ごとあたり一面を吹っ飛ばした。
レインのところまで爆風が届く。巻き上げられた土砂が煙の柱となって立ち上っている。
「やーん、間違えちゃったかも。きゃ」
いったい何をどう間違えたと言うのか。尋常ではない威力の魔法を放っている。ただ――。
「ユーリス! どこを狙ってる!?」
ユーリスの魔法は、レインたちが相手にしているロストール騎兵を撃ったわけではなかった。そのはるか向こう、中央のど真ん中あたりの歩兵の群れを吹き飛ばしたのである。
だからユーリスの魔法は怖い、とレインは冷や汗をかく。威力も飛ぶ方向もまったく予測ができない。
同士討ちは戦場の常だが、あまりにひどいと処罰の対象になる。
「レルラ、ユーリスを下がらせろ」
「あいよ」
騎士たちの間をするすると駆け回っていたレルラ=ロントンを捕まえるなり、レインは怒鳴るように命じた。リルビー族が従軍する際には、このように伝令係を担うことが多かった。
人の波の中を駆け出したレルラ=ロントンに向かって、白い鎧の兵士が踊りかかった。軍馬の爪がその兵士を蹴り飛ばす。
前進の軍鼓が鳴った。
騎兵の鍛錬に力を入れるディンガル軍でまず真っ先にやらされるのが、軍馬の世話だ。軍では軍馬の生産にも力を入れている。
軍馬に乗れんと話にならん――アンギルダンに脅されて、事務仕事の傍ら必死でやったのが騎馬の訓練であった。
幸いにして、レインは筋がよかった。事務仕事よりはるかに覚えがよかった。体で覚える類の事柄に関しては、レインには才能があるのかもしれない。
「お前ら何をしてる! さっさと敵を倒せ、クズどもめ」
喧騒と土埃の向こうから、激しくがなり立てる声が耳に入った。見れば、ど派手な格好をした騎士が細身の剣を振り回して、自分の周囲にいる兵士に檄を飛ばしている。
ひと際大きな軍馬――これもきちんと飾り立てられている――に乗っているところからして、相当に名のある家の子息なのだろう。
ギラギラに光る真新しい甲冑には、七色の砂がちりばめられていて、頭部を覆う金の兜にはこちらも極彩色のコーヴァスの羽根で飾り立てられている。なりは立派だが、実力はほぼないと見えて軍馬の上で怒鳴っているだけである。
実力がどうあれ、敵の指揮官には違いない。見逃してやる必要はないだろう。
土煙の向こうの騎士と目が合った。とたんに、男が焦ったように声を荒らげた。
「お前ら、何をしてる。さっさとあの女を殺さないか」
自分でやる気はないらしい。レインは軍馬に鞭を打って、男に向かって駆け出した。軍馬を引き倒そうとした歩兵を引きずりながら、前方に見える竜騎士の胸板を勢いに任せて甲冑ごと貫く。
穂先に引っかかった騎士の体ごと槍を振り回すと、他の兵士がそれに巻き込まれて引き倒された。
例の金ぴか兜の下で青い顔をした指揮官が、
「このクズども、役立たずめ。お前ら、俺を守れ!」
と唾を飛ばしながら怒鳴ったかと思うと、慌てて馬首を巡らせて自軍の兵士を押しのけながらこちらに背を向けた。
兜で覆われた竜騎士の首を刈り飛ばして、レインは槍を振り上げる。
「追走は伏兵に任せる。予定通り、回り込むぞ」
レインの号令に、ディンガル騎兵が馬首をめぐらせた。数を減らしたロストール騎兵が、壊走しはじめたのである。
左翼のディンガル騎兵部隊は、少しだけロストール騎兵を追うそぶりを見せた。だが、彼らが充分戦場から遠ざかると、大きく回りこんでロストール歩兵隊の後方についたのだった。
中央に厚みを持たせたディンガル軍であったが、さすがに数に押され始めた。そのため、アンギルダンは予定よりも早く、後方に控えた黒鎧騎士団を前進させなければならなかった。
ロストール歩兵の強さは装備の強さにある。王都近くのゼグナ鉱山や虹色の山脈から良質の鉄や錬鋼石が採れるのである。南部のほうが土地が豊かであるというのは、バイアシオンに住むものなら誰しもが知っていることであった。
他方、ディンガル歩兵の強さはその統率力にある。貴族の私軍によってなりたつロストール軍と違って、ディンガル軍は体系化されたひとつの組織だ。
ディンガル歩兵たちは押されながらも横に広がり、ロストール歩兵を囲むように側面に回り込んだ。がら空きになった前面には、敵を威圧する黒い壁となった黒鎧騎士団が待ち構えている。
ディンガル兵の中でも厳しい試験を通らなければなれない黒鎧騎士には、一番いい軍馬が与えられている。軍馬に与えられる装備もそろいの黒鎧で、歩兵から見ればまさに黒い壁に見えた。
ロストール歩兵の最前線と、黒鎧騎士団がぶつかり始めたときだ。魔法の爆風を振り払いながら、黒い雪崩となってディンガル騎兵がロストール軍の背後から突撃した。悲鳴を上げながらロストール兵士たちが後退する。だが、そちらには黒鎧騎士団が待ち構えている。
前面に黒鎧騎士団、側面をディンガル歩兵と傭兵部隊、そして後方を騎兵隊に囲まれたロストール軍は一気に恐慌状態に陥った。これが、しっかりと練られた軍隊であったなら、そのままディンガル軍の中央を突破して左右に展開できたかもしれない。だが、残念ながら、おっとり刀で駆けつけたロストール軍には、それだけの力がなかった。
逃げ場を失って混乱したロストール軍の内側で、同士討ちをが起こりはじめる。ロストール軍の軍馬が、自軍の兵士を踏み潰した。
ロストール軍は軍勢を立て直すことができず、四方を囲まれて逃げることもできず、ことごとく殲滅されてしまった。総司令ノヴィン=ファーロスはこの敗戦の責任として自害し、ロストールは将官のほとんどを失った。
この戦は、後に真紅の戦匠と呼ばれるアンギルダンの代名詞として、山脈越えとともに語り継がれていく――。
◇ひとこと◇
アンギルダンの山脈越えはどう考えてもハンニバルのアルプス越えがモデルなので、それに習って殲滅戦のお手本といわれているカンナエの戦いをもとに書いてみました。
細かく書いていくとはんぱない文章量になってしまいそうだったので、ぎゅっと圧縮して淡々と書きました。これはこれで楽しかったです。