ドワーフ王国の入り口から広場までを、ディンガル兵たちが埋め尽くした。血と死の臭いが染み付いた彼らを、ドワーフたちは険しい顔つきで出迎えた。そのうちに、広場からはドワーフたちがいなくなってしまった。
「あーん、疲れたぁー」
疲労と敗戦で沈む一団の中に、ひと際かまびすしい声が聞こえた。そちらに目をやれば、汚れた青いふりふりのスカートが目に入った。
広場の中央には澄んだ水がたたえられた大きな池がある。地下水が湧き出るに任せたそれは、自然の噴水である。そのわきに、声の主が薄汚れた白いタイツに包まれた脚を、投げ出すようにして座っていた。ユーリスである。
「何だ、ユーリスも残ってたのか」
レインが歩み寄ると、ユーリスは池の水でぬらしたハンカチで、汚れた顔をふきながら、
「タダ働きなんて、絶対嫌です」
とレインを睨むように見上げてくる。
そうか、とレインは胸中で独りごちた。数は少ないが、ここまで律儀に付き合ってくれた傭兵もいる。彼らをエンシャントまで随伴させる必要はないだろう。
レインは士官の一人を呼び寄せて、割符を作ってくれ、と命じた。
「割符ですか?」
「ここまで付き合ってくれた傭兵に渡してくれ。後日、政庁に提出すれば金が支払われるように手配する」
士官は、レインの意図を理解したらしく、割符を調達しにドワーフ王国の奥へと走っていく。それから、レインはまた別の士官に命じた。
「怪我人の治療をしろ。薬がないなら道具屋からありったけの薬を買って来い。金はディンガル軍につけておけ。それから、酒場に行って、食料を調達して来い。――私は、ドワーフの王に会わなくては」
士官たちは慌しく王国内へと散っていった。黒鎧騎士たちにここを任せ、レインは一人でドワーフ王国の奥へと進んだ。
地下に作られたドワーフ王国は、アリの巣のように複雑だ。けれども、むき出しの岩肌に鉱石の原石が、聖光石の明かりを反射してきらめいている様は、夜空に浮かぶ星の大河のようで美しかった。
レインは岩肌を削って作られた階段を地下へ地下へと下りていった。地下水路がどおどおと音を立てている。
揺れる釣り橋をいくつか渡った先に、大きな鉄格子の門があった。格子の隙間から見えるのは綺麗に整地された闘技場である。鉄格子の前にはいかめしい顔をした髭面の――彼らは大体髭面だが――ドワーフが立っていた。重そうな石斧の柄に両手を置くような格好である。
レインは少し離れた場所で声を上げた。
「ディンガル帝国軍南方攻略朱雀軍副将のレイネート=オズワルドと申す。ドワーフ王国の庭を汚している。その件で、ジンガ王にお目通り願いたい」
鉄格子の先には人間は立ち寄れないことになっている。いや、人間というより、ドワーフ以外、といったほうが正しい。この闘技場の先には、ドワーフたちの地下王国が広がっている。地上の連中に解放している上部分も、王国には違いないが、この鉄格子の先には普段見かけないドワーフの女連中や子供たちが住んでいるのだ。
「王は誰にもお会いにならない」
向かって右側のドワーフが、大空洞内に響き渡るような声を上げた。
「では、勝手に使わせてもらうぞ」
レインが少しばかり顔をしかめると、今度は左側が同じような大声を上げた。
「いずれ、『鎚』が下されよう。しばし、待て」
今、どうするのか吟味中、といったところだろうか。レインは一礼して、足早に来た道を戻り始めた。勝手に地下街道を通るわけにもいかないが、今すぐ追い出される心配はなさそうである。少なくとも、疲弊した兵士たちを休ませることくらいはできそうだ。
地下からの階段を小走りで上がってきたレインは、絹を裂くような女の悲鳴にはっと顔を上げた。反射的に大股で駆け出す。
広場に駆け込むと、案の定、ユーリスであった。悲鳴に聞き覚えがあったのだ。
「どうした」
駆け寄ると、ユーリスは目の前に立つ男たちに指を突きつける。
「こいつら、動けない兵士たちに難癖つけてたんですよ! レイネート様、やっちゃってください!」
キャンキャンと騒ぎ立てるユーリスと男たちの間に割って入る。レインが男たちを睥睨すると、彼らは少し腰が引けたように後退した。いかにも冒険者風の男二人組みである。
冒険者だな、とレインがユーリスを庇うように男たちに向き直ると、彼らは顔を見合わせた。
「おおかた、残党狩りでもしてロストールに売りつける気だったんだろう。だが、ただの兵の首をいくら持っていってもたかが知れているぞ」
レインが一歩踏み出すと、男たちが大きく後退した。レインは容赦なく、青い目で彼らを睨みつける。
「この中では私が大将格だ。冒険者ならば『稲妻』の名を聞いたことくらいあるだろう」
冒険者がぎょっとして目をむいた。名を売っておくものである。どうやら、こんな下っ端の冒険者でも、レインの名を知っているらしい。
どうする、とレインが槍を構えてみせると、男のうちの片方が腰の短剣を引き抜いた。引っ込みが付かなくなったらしい。
連れの制止の声も聞かず、男はレインに突撃してくる。首もとを狙った短剣の刃を少し身をひねって避けると、レインは男の顎を容赦なく殴り飛ばした。
篭手に覆われている拳である。ただでさえ、体格のいいレインの、体重が乗った拳は凶器であった。
男はもんどりうって倒れ、連れのほうは怯えたように青い顔をして震えている。
そのときだ。
「このドワーフ王国での私闘は禁じている」
朗々と、ドワーフの地下王国すべてに響き渡るのではないかというほどの大声が、その場にいた全員の鼓膜を震わせた。いや、震えたのは鼓膜だけではない。レインは自分の全身がびりびりと震えたのを感じた。
声に振り向けば、角兜をつけたひと際立派なドワーフが、威風堂々たる居住まいでこちらに歩み寄ってくる。ドワーフの兵士を引き連れている様子を見る限り、彼がジンガ王だろう。
「捕らえよ」
ジンガ王の力強いが静かな号令にドワーフの兵士たちが動き出す。
それに慌てたらしい冒険者の男が、気絶したまま倒れ伏す仲間を放り出して逃走した。
レインは逃げなかった。むしろ、傷ついて動けないディンガル兵たちを庇うようにして、大きく一歩前に出た。それから、さっと膝をついて頭を垂れる。その彼女の周りを、ジンガ王を守るようにしてドワーフの勇ましい兵士たちが取り囲んだ。
「わしがドワーフの王、ジンガと申す。争いの火種を持ち込んだのはお主か」
「お騒がせをして申し訳ない。しかし、降りかかる火の粉は払わねばなりますまい」
レインは真っ向から王を見つめた。短躯のドワーフたちは、レインが膝立ちになると目線がよくあう。
レインの後ろで、気絶した男がドワーフたちに引きずられていった。
一理ある、とジンガは頷いた。
「しかし、その方、ドワーフ王国は人の戦に関わらぬと知らぬわけではあるまい」
「無論です。しかしながら、我らは傷つき、山脈を越えることができません。ドワーフの地下道を使わせていただきたい」
「地下道を戦場の空気で汚すと申すか」
ジンガの土色の瞳が険しくなった。太く立派な眉毛がつり上がり、眉間に渓谷のようなしわが浮かぶ。
「それは申し訳ないと思います。ですが、ドワーフの心はこの大地のように広いはず。傷ついた者を無碍にすることはありますまい。我らは故郷に戻るだけの、しがない大地の子らにございます」
レインは一度も王から目をそらさなかった。最強のドワーフの眼光は鋭く、並みの者なら居竦んでしまったに違いない。
ジンガもまた、強い光を宿した土色の瞳でレインを見つめた。両者はしばし、無言で睨みあった。その場にいた誰もが息を呑むような緊張感が、広場全体を包み込んでいた。
先に口を開いたのは王だった。
「……ドワーフの心、ときたか。ふむ……――お主の名を聞こう」
「レイネートと申します。平素は、冒険に身をやつし、義理によって友に刃を貸しました。『稲妻』と名乗っております」
なるほど、とジンガはたっぷりと顎に蓄えた髭をしごきながら、鷹揚に頷いた。
「冒険者か。どうりで、よい目をしておる。――このジンガと睨みおうて、一歩も引かぬとは何たる豪胆さか。人の女性にしておくのがもったいないくらいよ」
ドワーフの男であれば、チャンピオンも夢ではあるまい。ジンガはそう言って、豪快に笑った。
「よかろう。お主らの命、このジンガが預かった。これよりドワーフがこの大地に掘ったいかなる場所でも、敗残兵の追討を禁ずる。怪我を負った者には手厚い保護を。そして、故郷に帰りたい者には地下道を使うことを許可しよう」
王国の奥からがやがやとドワーフの一団が現れた。彼らは広場の隅に筵を引き、傷を負った兵士たちを担ぎ上げ、そこに寝かせた。
「ありがとうございます」
深く頭を垂れたレインに、ジンガはまた大地を揺らすほどの豪快な笑い声を上げると、よい、と言って王国の奥へと戻っていった。
王の一団が去ってから、ようやくレインは深く息を吐いた。どっと冷や汗が吹き出て、足が震えている。鼓動が早鐘のように鳴り、眩暈がした。
「……はぁ、緊張した」
呟いた声が震えている。
駆け寄ってきたレルラ=ロントンが、床に突っ伏したままのレインの青い顔を覗き込んで、首を傾げた。
「緊張してたの?」
堂々としてるように見えたけど――レルラ=ロントンは言うが、本音と建前というものがある。
「偉い人に会うと緊張する」
呼吸を整えながら立ち上がったレインに、ユーリスが、そうなんですか、とやはり首を傾げている。
「レイネート様はもっと神経図太いでしょ。猫被ってる!」
「あんたに言われたくない」
どっと疲れたレインは思わず声を荒らげて、一つ大きなため息をついた。言われたユーリスは、きょとんとしていた。
「別について来てもいいけど」
レインは首を傾げた。
傭兵たちの処遇についてである。
ドワーフ王国がひとまずの安全圏となったので、怪我人や動けない者を置いて、レインはエンシャントに先に戻るつもりであった。これからの道程やどうしても残していかなければならない士官等を考慮すると、レインが連れて行くのは二百か三百だろう。この中に傭兵は入っていない。
ユーリスやレルラ=ロントンが一緒に行くと言い出したので、レインは迷っているのだ。割符を配り終わったので、もっと落ち着いてからエンシャントにくればいい――レインはそう思っている。
「期待してるようなことは何にもないよ。地下道を抜ければ、それこそ強行軍でエンシャントまで走り抜けるつもりだし。エンシャントに無事ついても、待っているのは敗戦への叱責だ。それでも来る?」
「えー、きつそう。僕、パス」
「さようなら、レイネート様。もう二度と会えないかもしれないけど、お元気で」
現金な連中である。しかし薄情とは言うなかれ、冒険者とはこう強かでなければ、生きていけないものなのだ。
ドワーフ王国に着いてから二日が経過した。レインは動ける者をつれて、ドワーフの地下道を抜けるため、再び槍を取った。
残していく士官たちに、怪我人たちのことを頼むと、彼らはしっかりとレインと固い握手を交わした。
「副将、お気をつけて」
「戦には負けましたが、俺たちは朱雀軍であることに何ら負い目を感じておりません」
「アンギルダン将軍によろしくお伝えください」
地下街道の入り口で、敬礼して見送る彼らに別れを告げて、レインは三百人の兵を連れてドワーフ王国を出発した。
当初の予定通り、レインはディンガル帝国側の街道をほとんど休憩なしで駆け抜けた。それでも三日を費やし、エンシャントにようやくたどり着いたときには、最後にアンギルダンと別れてから十日近くが経過していた。
エンシャントに入った朱雀軍の残党の姿を見た町の者は、負けて帰ってきたはず彼らを暖かく迎え入れた。沿道に人垣を作って拍手を送り、ラッパを吹き鳴らし、太鼓を叩いた。警邏の兵士たちが政庁に報せたため、レインは政庁前の広場でアンギルダンと再会した。
「レイン!」
「すまん、遅くなった」
そう言って笑ったレインの、甲冑に覆われた背中を、アンギルダンの大きな平手が叩いた。彼は甲冑を着ていなかったが、彼の手よりもレインのほうが衝撃が大きかったに違いない。
「兵の数が少ないな」
「怪我人や動けない者はドワーフ王国に残してきた。ジンガ王が保証してくれた。きっとすぐにみんな、戻ってくる」
そうか、とアンギルダンは豪快に笑って目を細めた。
「ドワーフの王に敗残兵の保護を申し付けるとは、『稲妻』ではなく『豪胆』と名乗るべきじゃな」
アンギルダンが茶化すように言うので、レインは顔をしかめて頭を振った。『稲妻』でもけっこう恥ずかしいのに、『豪胆』なんてもっと恥ずかしい。『微笑』とか『流星』とか、もっと柔らかくて綺麗なあだ名がよかった――とレインは思う。『稲妻』は綺麗だが、いかにも強そうという感じがして、レインには少し恥ずかしいのだ。
アンギルダンとともに城へ戻ったレインが真っ先にやったのは、風呂に入ることだった。戦場から数えて二週間以上、まともに風呂に入っていない。浴びた湯が真っ黒になった。
それから、ぐっすりと一日以上眠った。日のあるうちに眠ったはずなのに、起きても外は明るいままであった。だから、はじめ、レインは神経が昂ぶっていてまったく眠れなかったのだと思った。しかし、レインの様子を見に来たなじみの士官が言うには、丸一日眠っていたとのこと。
体力に任せて走り回っていたが、かなりぎりぎりだったのかもしれない。
それから、士官服に着替えたレインは報告書を書いたり、ドワーフ王国へのお礼状を書いたり、政庁に傭兵たちの割符の件を伝えたり――そういう事務的な仕事を忙しくこなした。
「リベルダムの『草』から連絡が来ておりました」
戦のことですっかり忘れていたが、そういえばロセン解放軍のことも調べていたのだ、と思い出した。
「アンティノ商会が作り出した、戦闘用のモンスターに関して、気になることが」
報告の顛末を聞いたレインは怪訝そうな顔をして首を傾げた。
アンティノ商会が主力商品として開発していた怪物が、ディンガル東部の隠れ里ミイスで見つかったものと一致したというのだ。
「陛下のご命令もあって、ミイスの焼き討ちの件に関しては詳しく調べておりましたが――」
ミイスか――レインは黙って報告を聞きながら、考える。隠れ里ミイスといえば、魔人アーギルシャイアに焼かれ、神器を盗み出された――と聞いた。レインが猫屋敷にはじめて訪れたころであるから、今から二年余り前のことだ。
士官の説明によれば、ミイス村の神殿屋敷の前庭に、見たこともない怪物が倒れているのを、村の生き残りが目撃しているそうだ。その目撃情報と、『草』が手に入れた怪物の詳細情報に、一致する特徴が多いと言う。
いよいよ、アーギルシャイアとアンティノ商会のつながりが濃くなってきたな、と思う。
士官から怪物の資料を受け取ったレインは、ぱらぱらとそれをめくった。『草』が命がけで取ってきた情報だが、レインが見ても専門的過ぎてよくわからない。何より、こういう仕事は朱雀軍よりも玄武軍のほうが得意である。
玄武軍に回して解析を、と言いかけたレインは、ふと、資料をめくる手を止めた。
『デスギガース』と書かれた見慣れない怪物の名前の下に、開発責任者の名前が連なっている。そこに、見慣れた名前を見つけたのである。
シェスター?――それほど珍しい名前でもないが、この場合、同一人物と考えたほうが自然だろう。
この妙な感じはなんだろう。アーギルシャイアを追えば追うほど、セラの姉シェスターの影がちらつく。まるで、彼女らが常に一緒にいるような――。
「リベルダムの商人は魔道士たちに造らせた怪物を、ロセンやロストールの貴族連中に高額で売りつけているようです」
士官の言葉に、レインは顔を上げた。
「……ああいうのを、戦に投入されては困るな」
レインはロセン解放軍が使った、マゴスに似ている怪物を思い出していた。ザギヴが魔法で吹き飛ばしたところを見ると、決して殺せないわけではなさそうだが、それでもただの兵士がどうこうできるレベルの相手ではない。
「戦で使えるほど量産されてはいないようですが。それに、よほどの金持ちでないと買えませんよ」
「……ロセン解放軍は、よほど資金が潤沢らしいな」
レインは肩をすくめた。
「その件については、青竜軍からの情報で、リベルダムの有力商人の一人、ロティ=クロイスが怪しいようです。何といっても、彼の妻はロセン王家に連なる人物のようですから」
そういう、ロストール侵攻前の業務をこなすうちに、ドワーフ王国に残していた兵士たちがぞくぞくと戻り始めた。ディンガルから馬と車を出したおかげで、動けないほど深い傷を負った者たちも、予定より早く本国に帰還できそうである。
そんな嬉しい報せが舞い込めば、悪い報せだって舞い込むのが人生というものである。
「ええっ、やだなぁ」
アンギルダンの執務室にて、レインは露骨に顔をしかめた。
アンギルダンは、枢密院の会議にレインも出ろというのである。ロストール侵攻作戦の結果についての報告会は終わっているので、これから南部攻略をどうすべきかについての会議である。
「まぁ、南部攻略と銘打ってはおるが、早い話がわしの処遇を決めるのよ。わしゃ、過去に二度、ディンガルを出奔しとる。脱走兵とは重罪よ」
「それは、過去の話だろう。今回の戦には関係ない」
レインは言うが、アンギルダンはため息混じりに頭を振った。彼が執務机の大きな椅子にもたれかかると、椅子がぎしりと軋んだ。
「相手はあの宰相閣下じゃ。そうはいくまい」
レインは腕を組んで、しかめた顔にさらに不快感をあらわにした。そうだ、と思い当たる。今はネメアがいないのだ。
彼はレインが南部から戻ったときにはすでに、近衛兵――オイフェたちだ――をつれてエンシャントを発っていた。おそらく、闇の神器の探索に出たのだろう。
会議に皇帝がいないことは茶飯事である。それがたとえ、枢密院の会議であってもだ。会議は予定通り行われるだろう。そこでの決定権を持つのはあのベルゼーヴァ宰相なのだ。絶対にいい事は起きないだろう、という確信があった。
もしネメアが出席してくれたら、と思えど、会議までに帰ってきてくれる保証などないし、連絡のつけようもなかった。
「そういうことなら……しかたないけど」
すっごい嫌だけど、とレインはふてくされたような顔をする。
「でも、私、あの人からは覚えがめでたくないよ。逆効果なんじゃない?」
いやいや、とアンギルダンは大きな手を乱暴に振った。
「お主は何もせんでよろしい。わしの命綱とでもいうべきかの」
アンギルダンはそれ以上何も言わなかった。彼にも、説明のしようがなかったのかもしれない。
さて、会議の日がやってきた。副将の仕事で色んな会議に参加させてもらったが、この枢密院の会議というのには参加したことがない。というのも、枢密院会議が開かれたのは過去、大規模な作戦が行われた前後でしか開かれていないからだ。すなわち、青竜軍のロセン攻略と獅子帝のウルカーン制圧の二度である。
そして、今回が三度目――。大会議場には大きな円卓があって、それぞれの攻略地域ごとに席に着く。つまり、朱雀軍の席は一番南側である。書記やら秘書官やらに混じって、レインはアンギルダンの隣に腰を下ろした。
議長席は一番北側にあり、その奥にさらに皇帝の席がある。つまり、議長と真っ向から向き合わねばならない席ということだ。嫌な席順である。
将軍が出席しているのは朱雀軍と玄武軍だけで、あとは代理のようだ。白虎軍は副将が出ているようだが、青竜軍のほうは副将すら出ていない。青竜軍の副将アイリーンは、大将カルラとともにロセンにいるはずだ。
やがて、議長が入室し、会議が始まった。
「先日の報告でもあったが、この度の南方攻略は失敗に終わった。朱雀軍の処遇を考えねばならない」
議長席に腰かけたベルゼーヴァは、いつもよりさらに尊大に見えた。実際に居丈高に話しているのか、レインの心情的にそう見えたのかはわからないが。
「朱雀軍はいたずらに軍規を乱し、挙句、いたずらに軍備を浪費した。許しがたい」
『いたずらに』?――レインは俯けるようにしていた顔を上げた。広い円卓の、ほぼ対面に座ったベルゼーヴァを睨むように見据える。ベルゼーヴァはレインの強い視線に気づかないのか、あるいは気づいていて無視しているのか――目をあわせようともしなかった。
「また、朱雀将軍アンギルダン=ゼイエンは過去、二度に渡りディンガル軍を出奔している。これも、考慮せねばなるまい」
レインの隣にどっかりと腰かけたアンギルダンは、立派な髭の下でむっつりと唇をつぐんでいる。固めた拳をももの上に置いて、まっすぐに正面を見ていた。
「軍法によれば、脱走は磔刑です。閣下」
ベルゼーヴァの隣に腰かけたザギヴまでもが、そんなことを言い出したので、レインは思わず顔をしかめてザギヴを見つめた。ザギヴはこちらを見ない。すましたような顔で手もとの書類に目を落としている。
「妥当である」
ベルゼーヴァが頷いた。
レインは唖然となる。何を言っているんだ、という顔になる。
「ちょ……あの、議長。発言を許可していただきたい」
思わず立ち上がったレインに、隣のアンギルダンが驚いたように振り向いた。そして、レインを座るように促して、
「副将、よい」
「いいわけあるか」
レインは小声で返すと、毅然とベルゼーヴァを見据えた。ベルゼーヴァはいつも通りの、磨いた鋼のような黒い瞳をレインに向けている。その光は冷ややかだ。
「君に発言する権利はない。座りたまえ」
「そのような軍規はないはずです」
「慣例である」
また慣例かよ、とレインは苦々しく胸中で吐き捨てた。書いとけよ、とイラついてさえくる。
朱雀将軍、とザギヴが冷たい声を出した。今ここにいるのは、レインの友人であるザギヴではなく、軍内の規律を統括する玄武将軍なのだと思い知る。
「普段から軍規をないがしろにしているから、部下が付け上がる。困ったものね」
この状況で私情を挟めなどとは、レインだって考えていない。ザギヴがそういう性格なのも理解している。だが、引き下がるわけにはいかない。アンギルダンの率いる朱雀軍で戦えてよかった、と言った、士官たちの笑顔が頭をよぎるからだ。
レインが眉間にしわを寄せて押し黙ると、ザギヴが続けた。
「ただし、閣下。彼女には発言の権利があります。『この円卓に着いた、いかなる者の言葉も遮ってはならない』 法は慣例よりも遵守されるべきです」
ザギヴは淡々としていた。いかにも、助け舟など出しておりません、といった涼しい顔をしている。
なるほど、とベルゼーヴァが頷いた。
「では、朱雀軍副将、君の発言を許可しよう」
ベルゼーヴァは促したが、レインは言葉に詰まって彼を睨み返した。
これはまずい、とレインは背中を冷や汗が伝うのを感じた。罠にはめられている感じだ――言質でもとるつもりか、ベルゼーヴァはあえて、レインに発言させようとしている。
だが、引くに引けない。
「もし――もし脱走の罪まで遡求されるなら、それは皇帝陛下の任命責任を問うべきです」
「……おいおい」
隣でアンギルダンが目を丸くしている。レインは問題になっている当人の訴えを黙殺した。
あろうことか、とベルゼーヴァは眉間のしわを深くした。
「己の罪を陛下に転嫁する気か。陛下の『お気に入り』だからとて調子に乗るなよ、小娘。貴様は不敬罪で縛り首だ」
そうではありません、とレインの視線が強さを増した。
「陛下は罪を問われなかった。それを問うというのは、陛下の信を問うということではありませんか。あなたと私と、いったいどちらが不敬罪だと?」
ベルゼーヴァは何も言わなかった。ただ、腕を組んでレインを見据えている。
「確かに――た、確かに、ロストールは落とせなかった、その責は問われるべきです」
しまったーっ!――レインは自分が罠にはめられたことを確信した。隣でアンギルダンが渋い顔をしている。
このために、わざわざ重罪である脱走の話を持ち出したのだ。確かに、ロストールは落とせなかったが、その戦果で見るならば、ロストール軍とディンガル軍のどちらが有利であるかなど火を見るより明らかであった。試合に負けて、勝負に勝ったという奴である。
しかし、負けは負けだ。誰かが、責任を取らねばならない。しかし、アンギルダンは人望厚い人物だ。先の戦を見ても、戦術家としても優れている。切り捨てるわけにはいかない。誰かが庇わねばならない。レインがその『誰か』なのだ。
こちらを見つめるベルゼーヴァの顔が、この阿呆め、と物語っていた。
「し、しかしながら、帰還した我が軍に民の誰が石を投げたというのでしょう」
レインは続ける。こうなったら少しでも罪を軽くするしかない。
「ここで我が軍を処断すれば、軍に対する民の信頼は揺らぎます。――閣下、兵も人です。チェスの駒ではない。信賞必罰をお願いしたい」
これはもうダメだ、とレインは悟った。ベルゼーヴァに信賞必罰などといえば、必然的に罰せられるに決まっている。どうして自分はこうも間抜けなのだ。
もっとちゃんと考えてしゃべればよかった。勢いに任せるから、こんなことになるのだ。
隣のアンギルダンが額に手を当ててうな垂れ、重いため息をついている。もう見てられない、といった様子である。
「言いたいことはそれだけかね」
ベルゼーヴァが言うので、以上です、とレインは搾り出すように言って、着席した。朱雀軍の座席は、一様に沈んでおり、葬式の参列もかくやという様子であった。
「ふむ。『信賞必罰』……君にしてはよい言葉を知っていたな」
ベルゼーヴァは片方の口角だけを上げて、にやりと尊大に笑った。その目がどう見ても、馬鹿が頭をひねってご苦労、と言っている。
「今回の朱雀軍の作戦によって、ロストール軍の大部分はその将官を失った。時代遅れのロストールのことだ。彼らが次に立てる将は、その子息だろう。多くは戦の経験のない若造だ。取るに足らん」
ベルゼーヴァはつらつらと、立て板に水のように話す。まるで、はじめから、用意されていたかのようである。
「ロストールは腐っても大国。本格的な南部の攻略は、青竜軍のリベルダム攻略の後が望ましい。そこで、南方攻略本部は一時その任から外れてもらう」
これが『罰』だ、とベルゼーヴァは言った。
「朱雀軍は西方攻略白虎軍と合流し、ただちにアルノートゥン・アキュリュースの各都市を落とせ。二度目はない。以上だ」
会議場から出たレインはがっくりと肩を落としていた。悲壮である。
レインはまったく、死にたい気持ちでいっぱいであった。今なら宰相に、不敬罪で縛り首にするぞ、と脅されても、よろこんでー、と返事ができそうなくらいである。
「まぁ、そう落ち込むな」
苦笑を浮かべたアンギルダンが、その大きな手を肩に置いた。落ち込むなと言われても、落ち込んでしまう。
朱雀軍は、本来同じ立場にあるはずの白虎軍の下につけと言われたのだ。レインのせいで。
確かに、ベルゼーヴァははじめから今回の結果を用意していたのかもしれない。しかし、それに一役買ってしまった、というのがレインには許せない。
レインは朱雀軍が好きだ。楽しいし、気が置けなくていい。意地悪なやつがいないし、戦だって強い。その朱雀軍を、貶めてしまったのだ。ほかならぬ自分が。その意図ではなかったにせよ。
ああいうことを言わせるために、お主を連れてきたわけではないのだがな、とアンギルダンは言う。
「……申し訳ありませんでした……」
「責めておるのではない」
会議場を出てすぐの廊下の真ん中で、レインは足を止めた。それを振り返ってアンギルダンは笑う。太くたくましい腕を組んで、廊下の窓から見える空を眺めている。
「わしゃ何を言われても耐え忍ぶつもりでおった。わしが異を唱えれば、隣におるお主にも火の粉が飛ぶ。友であり、仲間であり、部下である、お主にだ」
レインが俯けていた顔を上げると、アンギルダンはこちらを見て並びのいい歯を見せてにかっと笑った。
「わしゃ、嬉しかったよ。『何事も生きてこそ』――酒場で会うたび、お主に口を酸っぱくして教えてきた。わしを生かすために声を上げてくれたのじゃろう。ありがとう、レイン。誰も処刑されずにすんだ、これ以上の戦果はないぞ」
レインは顔を歪めた。泣きそうだ、と思った。奥歯をかみ締めてそれをこらえる。
「あ、副将が泣きそうですよ」
「本当だ。将軍が女を泣かせたぞ。記録に取っとけ」
レインの後ろでほかの士官たちが茶化し始めた。レインは肩越しに彼らを振り返り、ぎろっとひと睨みした。
「うるさいっ。泣いてない! 記録になんか残すな!」
「半泣きじゃないですかー」
「強がんなよ、副将」
「ええい、お前ら、覚えてろよ! 演習のときひどいからな」
茶化す将官の頭を叩いたレインに、どっと笑いが起きた。それを見て、アンギルダンは一際大きく笑った。
◇ひとこと◇
アットホームな軍団、朱雀軍。
朱雀軍はアンギルダンの印象が強いせいか、みんな仲がいいイメージがある。青竜軍はもっとドライ。玄武軍はもろに軍隊って感じ。白虎軍はむさい。