手持ちの金をばら撒いて、レインは馬を二頭用意した。栗毛と葦毛の車を引くような馬だ。
軍馬のほうがよく走るが、こんな小さな宿場町に軍馬など置いているはずがない。それに、普通に暮らしていれば――冒険者も含めて――軍馬に乗る機会などない。今は一刻も早く南部へと下らなくてはならない。乗り方を知らないものに、いちいち教えている暇はなかった。
なれない乗馬で尻が痛いの腰が痛いのと喚くヴァンを無視して、レインたちはひたすらに竜骨の砂漠を目指した。ドワーフ王国を抜けた後は、ほとんど宿に泊まらずに、一日走れるだけ走って砂漠の北側の街道を駆け抜けた。
一行が、竜骨の砂漠に入ったときには、宿場で合流してからもう十日が経っていた。
暦は七月に入った。
ラドラスは竜骨の砂漠のほぼ真ん中にある。竜骨の砂漠はそのほとんどが砂砂漠であるが、中心付近に近づくにつれ岩石砂漠が広がるようになる。岩石といっても、ただの岩山だけではない。長い時間、砂漠の乾いた風にさらされて、すっかりただの岩山然としているが、じっくり見るとラドラスの内部とよく似た特徴を持っている。例えば、明らかに人為的な幾何学模様が走っていたり、きっちり採寸して複製されたような寸分たがわぬ石柱がいくつも連なっていたりする。ラドラスが砂漠の蜃気楼に隠されてしまってからは、それが意味するところを知るものはすっかりいなくなってしまった。
アンギルダン以外は、この隠された都を訪れたことのある者ばかりであった。というのも、以前にエステルがシャリに連れ去られてしまったとき、彼女をラドラスへ連れ帰ったのだった。それからというもの、エステルと一緒にいるときは、たまに彼女が帰るついでに立ち寄ったこともある。
砂漠に入って一日行ったところで、その岩山地帯に差し掛かった。巨大な怪物の肋骨が砂地に埋まっているような石柱が列をなすようになり、その内に巨大な岩山が見えてくる。巌はあまりにも巨大で、そこに入った亀裂に砂漠の砂が堆積し、細く蛇行した道になっている。その道の両側は岩肌がむき出しの崖になっているが、ここを吹き抜ける風によってやすりをかけたように滑らかになっていた。
一行はアンギルダンを先頭にして、一列に隊列を組んで岩山の細い道を進んでいる。風が岩場の細い隙間を吹き抜けて、甲高い音をたてながら黄色い砂煙を上げた。
「それにしても、本当にこの先にラドラスがあるのか。とても人里があるとは思えんが」
アンギルダンがこちらを肩ごしに振り返って、レインを見下ろした。
「ラドラスへの道は部外者には閉ざされている。シャリがどうやってラドラスに入ったのか――」
都は落ちたと見ていいじゃろう、とアンギルダンは唸る。
「気をつけろよ、若造ども」
目下、一番元気なのが、この老人というのだから感服する。なれない乗馬に苦戦するテラネの連中はもちろん、レインだってここのところまともに休んでいない。食ったものといえば干し肉とか乾パンとか、その類のものである。
「元気なじー様だ」
ヴァンが呆れたように肩をすくめた。その少し後ろを行くナッジが苦笑している。
やがて、岩山の細道は途切れ、少し広まったような砂地に出た。四方は岩場に囲まれているが、そこだけぽっかり何もない――といっても、実際には崩れかけた石柱が、一本ぽつんと立っている。石柱には長い間をかけて吹き付けられた、細かい砂がこびりついていた。石柱の高いところに、青い石がついているがこれも光を失っていて、いかにも年代を感じさせる。
これが、巧妙に隠された砂漠の地下都市への入り口であった。レインたちは馬から下りて、彼らを岩山の影につないだ。充分な水を与えておく。
レインたちはその石柱のすぐ傍に寄っていった。石柱はアンギルダンより少しばかり大きなもので、歪んだ三角錐のような形をしていた。レインは鈍い青色をした例の石に向けて水晶をかざす。するとガラス玉から光の粉のようなものが降り注ぎ、一行を包み込んだかと思うと、彼らの姿がふっと砂漠から消えた。
エステルから聞いた話によれば、ラドラスというのは半球状をしている。都市の大部分は砂漠の砂に埋まっており、地表には居住区域である尖塔群がそびえ立っている。その尖塔たちは蜃気楼と砂嵐で覆われていて、普段は人の目につかないようになっている。そして、砂漠のそこかしこに先ほどのような入り口があって、砂漠の民の首飾りかそれと対になっている水晶を使わなければ、ラドラスには進入できない。
ラドラスへの侵入は、移動の魔法を使ったときに似ている。ふっと体が浮いたかと思うと、生ぬるい水の中を進むような感覚があって、はっと気づいたときには靴底に硬い地面の感覚があるのだ。実際に経過した時間と、体感時間の差が、いまだにレインを混乱させる。
ここをはじめて訪れたアンギルダンは、周囲を見回して、ほう、と唸った。ここは入り口だ。石造り――石に見えるが本当の材質はよくわからない――の小部屋で、壁自体がうっすら発光している。例の巨大な怪物の爪ような石柱が立っている丸い小部屋である。
普段はここですでに賑やかな都市の音が響いてくるのだが、今日は恐ろしいほど静まり返っていた。聞こえるものといえば、風の音とラドラスの呼吸音のようなハム音だけだ。ここから見える廊下もどことなく薄暗く沈んで見える。
「ヴァン、ちょっと先を見てきてくれ。奥へ行く必要はない。砂漠の民がいないかどうか、ざっと見てくるだけでいい」
「おうよ」
斥候役を担ったヴァンは、小部屋からちょっと顔を廊下に覗かせて、警戒するようにして飛び出していった。
「エステルはどこにいるだろう」
ナッジがヴァンが飛び出したほうを見ながら、不安げに呟いた。レインは腰の道具入れから例の水晶玉を取り出した。水晶の中は白い靄がかかって、静電気のような光がちかちかしている。エステルの首飾りを探したときに同じような反応を示していたのを覚えている。
「……近くにいるようだが、正確な場所はわからないな」
そのうちに、ヴァンが戻ってきた。いつもはやかましい彼が、神妙な顔している。
「誰もいねぇ。だが、争った後もねぇ」
そう……、とレインは呟いて押し黙った。
ラドラスは広い。半分砂に埋まって、進入不可能な場所も多いが、たった四人ですべてを見て回るには時間がかかる。エステルの水晶玉を目印にしても、途方もない。砂漠の民の案内が必要だ。
砂漠の民はエステルを人質に取られて、どこかに監禁されていると見ていいだろう。まさか、争いもせずに皆殺しにされる、などということはないだろうから。
「居住区は見たか?」
「見たよ。だが、一人もいねぇ」
ヴァンは肩をすくめた。
ラドラスの居住区は小部屋が、いくつも立ち並んでいるような区域だ。いわゆる、集合住宅というやつである。部屋の大きさにも色々あるが、概ね、民たちはそこで生活していた。レインがエンシャント城で寝起きしていた、寄宿舎の作りにも似ている。
大人数を閉じ込めておけるようなスペースが、あっただろうか――とレインはエステルとここを訪れたときのことを思い出した。
ラドラスの都市機能は半分以上停止している。機能しているのは、居住区、貯水槽、プラント、そして都市機能を維持する魔道力を生み出す動力室。レインたちは動力室に入ったことはないが、いかにも重要そうな施設である。そんなところに大人数を押し込めるだろうか。シャリの目的はわからないが、下手すれば自分も砂漠の砂に埋もれてしまう。
ヴァンの偵察によれば、居住区に人の姿はない。残るのは貯水槽かプラントだ。
「プラントだ。プラントに行こう。まずは砂漠の民を探す」
いいな、と確認するように全員を見回すと、まずはアンギルダンが頷いた。
「わしはここに詳しくない。お主に従おう」
「よし、行こうぜ」
ヴァンが先陣を切って小部屋を飛び出していった。それに頷いて、ナッジも続く。レインとアンギルダンがその後を追った。
ラドラスは静まり返っていた。まるで街全体が滅んでしまったかのようだ。レインたちの靴底が、ラドラスの不思議な石床を叩く軽快な音が響き渡るばかりである。その静けさが、レインたちに返って警戒心を抱かせる。
ぼんやりと明るい通路を何度か曲がり、階段を上がったり下りたりした。勝手知ったる、とまではいかないが、ある程度の地理は把握している。
「プラントの扉が閉まっているな」
レインは目の前でその口を閉ざす巨大な両開きの扉を見上げた。上のほうに青いガラス玉のようなものがいくつかついていて、それがかすかに光っている。移動用の石柱についているものと同じものだ。いつもは、この付近に砂漠の民がうろうろしていて、中を見たいといえば快く見せてくれるのだが、今はネズミ一匹姿が見えない。
「閉ざされているということは、お主の考えが合っているということだろう」
アンギルダンは言った。そして、静まり返るラドラス中に響くような大声で、扉の向こうに呼びかけた。どうせ、シャリにはばれているだろう。よしんばばれていなかったとしても、向こうからやってきてくれる分には願ったり叶ったりである。
「おい、誰かいないか」
扉を叩くがびくともしない。そのときだ。
「誰かいるのですか」
小さな声が聞こえた。頭上からである。見上げると、扉の右脇に通風孔のような穴があって、そこに設えられた格子の向こうに白いものがちらちらしていた。
「エステルの友人だ。レイネートという。あんたは誰だ」
ああ、エステル様の、と声は言った。声からして子供のようである。
「黒髪の変な子供がやってきて、みんなここに閉じ込められたんです。何とかこの通風孔を見つけて、体の小さい僕が、ここまで来たんですけど、出られそうにありません」
エステル様を助けてください、と少年らしき声は言った。
「よくわからないけど、大人たちがいうには、あいつはラドラスを浮上させようとしているらしいです。九柱の間に行ってください。そこからラドラスの制御室に行けます」
「わかった。ありがとう。君は戻って、大人たちに伝えてくれる? エステルはレイネートたちが助けるって。不安だろうけど、信じて待っててくれ。君たちを必ず解放する」
わかりました、と幼い声は言って格子の向こうでごそごそしている。白い、砂漠の民の衣らしき影が、格子の隙間からちらりと覗いた。
「九柱の間だ。さぁ、行くぞ」
レインたちはお互いに顔を見合わせて、示し合わせたように踵を返して駆け出した。
九柱の間は、プラントよりずいぶん上の階層にある。レインたちは複雑な都市内を、来た道を戻るように上へ上へと走りぬけた。
九柱の間にはその名が表すとおり、移動用の石柱が九つ立っている。九つの石柱は入り口に使われていたものと同様、青い石がついた獣の爪のような形をしている。ただ、こちらはかなり巨大で、見上げるほどに大きい。根元には台座のようなものがついていた。
それが、大広間を囲うように九つそびえ立っているのだ。以前ここを訪れたときには煌々としていたはずの広間は、今は灯が落とされていて薄暗い。石柱についている青い巨大なガラス玉のような宝玉が、薄闇の中でぼんやり光っているだけだった。
「制御室……ってどれだ」
広間の真ん中に立ったヴァンが焦って九つの柱を見回した。ラドラスの内部は以前に一度だけエステルに案内されたはずだが、レインもヴァンも制御の間に通じる移動装置がどれだかすっかり忘れてしまっている。第一、普段ならここにも砂漠の民がたくさんいて、道を尋ねれば快く応じてくれたのである。
一か八かでどれかに飛び込んでみるかと適当に当たりをつけたときだった。
「えぇーっと、確か……あれだよ。あの移動の柱」
ナッジが正面に見える石柱を指差したのである。石柱は多少の大小の違いはあれども、目印のようなものはない。
「ナッジ、覚えてるのか」
「うん。エステルに案内されたとき、珍しかったから覚えてる」
ナッジはヴァンに力強く頷いてみせた。ナッジには記憶に自信があるようだ。
「よし、ナッジの記憶を信じよう」
レインが促して、全員がナッジが示した移動の石柱に駆け寄った。九つの柱のちょうど真ん中の柱である。
石柱の根本に設えられた台座は広く、大人が十数人は乗れる大きさである。石柱の青い宝玉が一際大きく輝き、レインたちは再びあのテレポートの感覚を味わった。
制御の間には、レインたちでは理解できない装置のようなものが、大小入り乱れて設置されてあった。この部屋ではハム音がひときわ大きく、また、そういった装置についたガラス玉がそこかしこで光っている。普通の町中では見かけないそれらは、レインたちにとっては怪物の目のように見えた。
制御の間は天井が高く、天窓でも設けられているのか白い光の中に消えてしまって天井が見えないほどだ。その高い天井までの広い空間には赤青緑といった、色とりどりの球体のようなものが浮かんでいる。数は二十以上ある。大きさはまちまちで、人間の頭程度の大きさのものから、人では抱えられないような巨大なものまで。材質はつるりとした石のように見えたが、正しいかどうかは謎である。
その球体が、ゆっくりと対流するように動いている。反時計回りに、渦を描くように。
その球体の群れの下、ちょうど渦の中心に、青と白のマーブル模様の巨大な半球あった。その半球の上に、ひとりの少年が腰かけている。
細い足を投げ出して、ぶらぶら揺らしながら、丸い球体の上に後ろ手を付いていた。女の子のような白い瓜実顔に、にやにやした笑顔を浮かべている。
「意外と早かったね」
シャリは言った。もっと時間がかかるかと思った、と。
「イークレムンはどこじゃ」
「エステルも。どこにやった」
アンギルダンとヴァンが大きく一歩踏み出した。レインは何も言わずにシャリを睨みつけ、彼女の背後でナッジが槍を構えた。
ピリピリとした緊張感が広間内を満たした。今にも破裂しそうなその緊張を鼻で笑い飛ばして、まぁ、慌てないで、とシャリは腰かけていた半球の上に立った。バランスを取るように腕を広げて、よろけながら、おかしそうにくすくす笑う。墨色の衣の袖を翻しながら、白い手をさっと一振りすると、彼の背後がパッと明るくなった。
いや、正確に言うのならば、背後の空間にどこか別の空間の光景が映し出されているのだ。半透明の板か何かがそこにあるように見えるが、実際には何もない。暗い空間に映像だけが浮かび上がっている。これがラドラスの機能なのか、シャリの魔法なのかはわからない。だが、映像は鮮明で、まるでその光景が目の前にあるように錯覚してしまう。
白い部屋の中に、四つの台座がある。蚕の繭を半分に割ったようなその台座に、ぐったりとした少女が四人、すえられていた。四人のうち、三人はレインも見たことがある。イークレムン、エステル――それから、火の巫女フレアだ。もう一人、明るい茶髪をおかっぱにした少女がいるが、レインは彼女を知らない。だが、予想はつく。
「翔王がすごく邪魔で、ちょろまかすのに時間がかかっちゃった」
シャリはぺろりと舌を出した。
やはり、最後の一人は風の巫女エアだ。四つの精霊神の巫女のうち、三人がそろっている。となれば、エステルもまた巫女なのだろう。このラドラスこそが、地の精霊神の座所に違いなかった。
「巫女をさらって何をする気だ。彼女たちはどこにいる」
レインの詰問に、シャリはにっこりと笑った。彼女の鋭い視線を尻目に、このラドラスはね、と質問とは全然関係ない話を始める。
「昔、大空に浮かんでたんだ。すごいよねぇ、こんな大きなものが、どうやったら浮かぶんだろう。でも、今は、こんな砂漠の真ん中で一握りの人間にしか知られずに、砂に埋もれてる。かわいそうだと思わない?」
「思わない。巫女たちを開放しろ」
きっぱりと言い放ったレインに、シャリはくすくすと笑った。夢見るような顔つきで、頭上を旋回する制御球の群れを見上げている。
「僕は思う。この町を再び空に浮かべようと、どれだけの人間が無念に思って死んでいったかわかる?」
シャリはレインの言葉を無視してひとしきり喋ると、ニヤリと笑った。
レインは声を上げようとして口を開いた。――が、足が震えていることに気がついて、唇をつぐんだ。まさか、この土壇場で臆病風に吹かれているわけではあるまい。これは、自分が震えているのではない。震えているのは床だ。地面が小さく振動している。その証拠に、床に散らばった細かい砂埃が踊るように跳ねている。
「浮かべてあげようと思って」
シャリが言った次の瞬間――どんっ、と下から突き上げるような衝撃がレインたちを襲った。感覚としては地震に近い。衝撃に足をすくわれて、とてもではないが立っていられない。四人とも身をかがめて――ヴァンは単にすっ転んだだけだが――四つん這いになった。膝をついたまま、レインはシャリを見上げて睨みつける。
「あはははははっ。すごい、すごい!」
シャリはこの強烈な振動を感じさせない動作で、半球体の上に立っている。つま先でくるりと回った。
ラドラスの振動が増すに合わせて、彼の頭上でゆっくりと渦を描いていた球体たちが、でたらめに回り始める。逆回転し始めるもの、高速になるもの、動きを止めるもの――動きはそれぞれでたらめだが、球同士はぶつかることなく回転の速度を上げていく。
具体的に何がどうなっているのか、レインにはさっぱり理解できなかった。ただ、そんな彼女でもはっきりと認識できていることがひとつある。今の状況は、かなり、まずい。
青く輝く半球体の上に立ち、シャリは大きく腕を広げ、天を仰いだ。
「ラドラスは復活する。四人の巫女の魔道力を糧にして!」
◇ひとこと◇
ゲーム内では砂漠の民はシャリがやってきても普通にそこらへんにいるけど、抵抗とかしないんだろうか。それともシャリの存在に気づいてないんだっけ? それはそれでダメだろう。