秋の終わり、冬とのちょうど逆目に当たるこの時期の帝都では、ランタン祭りが行われる。
ランタン祭りはその名の通り、夜にランタンを灯す祭りだ。バイアシオンでは今時分に、天で星になった死者が地上に戻るといわれている。愛の神ライラネートが、ノトゥーンに慈悲を乞うてこの日だけ死者と生者が同じ時を歩むことを許してもらったと伝えられている。町中を飾るランタンは、天から下りてくる死者の魂が迷わないようにするための目印だ。
エンシャントの大通りに面した背の高い建物の屋上に、太い綱がいくつも渡っている。そこにはすでに一定の間隔でランタンが吊るされている。まだ日があるからよくわからないが、日が暮れれば、灯った炎が空に浮かび上がるだろう。
今年は、例年よりランタンの数が多いように思うのは、大きな戦が続いたせいかもしれない。
祭りは夜からだというのに、すでに通りは人の波が寄せかけている。それをかき分けて、レインは冒険者ギルドの門戸をくぐった。祭りの日は街の人は多くなるが、冒険者の数は少なくなる傾向にある。今日もギルド内は比較的すいている様子である。祭りの日まで仕事をしたくないのは、みんな同じなのだろう。
レインとて気持ちは同じである。仕事の報告が終わったら、祭りを楽しむつもりでいた。
「おお、レイン。あんた、ちょうどいいところに来てくれた」
ギルドに入るなり、カウンターの親仁が慌てた様子でこちらを呼び止めた。見れば神官風の男が蒼白な顔をしてカウンターの傍に立ち尽くしている。
「何か用」
カウンターに近寄って尋ねると、捜索依頼を出そうとしてたところなんだ、と親仁が言った。相変わらず、焦っている様子である。
親仁の言葉に続けたのは、例の神官風の男である。
「私はライラネート神殿で神官をしておるものですが、孤児院から子供が抜け出してしまって。捜索をお願いしたい」
「子供が抜け出したって……今日はお祭りなんでしょ。……まぁ、人さらいがいるかもしれないから、警邏の兵士には声をかけるけど――」
大方、祭りに浮かれて子供が街に飛び出したのだろう。この人出では子供たちだけで街に出るのを警戒する気持ちも分かるが、だからといって冒険者を投入して探すほどだろうか、という気もする。
だいたい、この広い帝都をレインひとりで探し回るのには時間がかかりすぎる。それこそ、兵士に話をつけて、目を光らせてもらった方がいくらか効果がありそうなものである。
「そうじゃないんだ、レイン」
親仁がかぶりを振って、その子は廃城跡地に入り込んでる可能性がある、と言った。
ライラネート神殿では孤児を預かっているが、ここ何ヶ月かの間に子供たちの間で『死神』の噂が流れるようになった。帝都の西側にあるスラム跡地で死神が現れ、目撃した人間を連れ去ってしまうのだという。内容は子供によくある怪談話のようなものだが、何せここはエンシャントである。
『死神』を想起させる、デスと呼ばれる怪物がいる。骨がむき出しの体に黒いローブを羽織った姿、魂を刈り取るといわれる大鎌、そしてかなり闇の気の深い場所に居つくことから、死を司っているように見えるのだ。
このデスが日常的にうろついていたのがかつての廃城である。先の大戦で廃城がほぼ瓦礫の山になってしまったことや、大地に降り注いだレインの魂の影響も関係して、一時期はすっかり姿を消していた。だが、ここ最近になって戻ってきているという。あの場に残ったバロルの闇の気配が、よほど居心地が良いのだろう。
子供たちが怖いもの見たさでスラム――といっても今はほとんど瓦礫が積まれた荒地である――まで出かけたのが数日前。今日、失踪した子は、その小さな冒険から帰ってきてから様子がおかしかったという。
「あの子は先ごろの大戦で母親を亡くしまして――」
一通り事情を説明した神官が、相変わらず蒼白な顔で続けた。
「目の前で、母親があのいびつな『神』に魂を取られて、消滅する姿を見たようで……。肝試しで何があったのかはよくわからないのですが……帰ってきてから、母親が戻ってきたと言って聞かないのです」
よく言い聞かせていたのですが、と神官は沈痛な面持ちである。
「……なるほど」
とレインは頷いた。
「デルージョンでもかけられたかもしれないな」
「デルージョン、ですか」
デルージョンという魔法はかけられた者に幻覚を見せる。術士の技量にもよるが、かけてきたのがデスとなると、普通の大人でも魔力が抜けるのに時間がかかる。子供ならなおさらだろう。
「死神が見せる最期の夢だ。偽りでも、幸せな幻の中で殺してくれるから、死神なんだろう」
まぁ、そういうわけでな、とギルドの親仁が間をつなぐ。
「廃城の方に行っちまった可能性が濃厚なわけだ。デスが相手となると、並の冒険者をやったら二次遭難になる。今日は祭りで人が少ないし、あんたに行ってもらえれば助かるんだが」
「事情を聞いてしまった。ここに来て断れないよ」
もともと持っていた仕事の半券をカウンターに置きながら、レインは槍を肩に担ぎ直した。
「夜になるとこっちが不利だ。今からすぐに行ってくる」
彼女は細っこい脚を懸命に動かして瓦礫の山を乗り越えた。夕日が赤く染める空の下で、うず高く積まれた石くれの山が濃く長い影を作っている。瓦礫の山が作る影の群れを渡るようにして、少女の小さな影だけがちょこちょこと動いている。彼女が顔を上げると、目の前の大きな瓦礫の影の中から白い女の腕がゆらゆらとこちらを手招いていた。
お母さんだ。お母さんが帰ってきた――!
肘から先がゆらりゆらりと招くように揺れているが、腕の先はひと際暗い影の中に沈んでいてほとんど見えない。辛うじて人の輪郭が黒い影になって浮かび上がっている程度だ。だが、少女にはそれが母の腕である確信があった。
この前ははっきり顔を見たもの。お母さんだった。お母さんだったわ!
母が彼女の目の前で光になって消えてしまったのは、もう一年ほど前のことになる。けれど、突然の母の消滅は少女にとってはあまりに現実味がなかった。それを現実的に『母の死』として受け入れるには、状況があまりにも現実離れしていたし、少女自身も幼過ぎた。
彼女は母親がきっと、すぐに自分のもとに戻ってきてくれるのだと、この一年間信じていた。
そんな、待ち望んでいた母の姿を見たのは、つい先日のことであった。真っ暗な夜の闇の中で微笑んでいた母。あのときは大人に連れ戻されてしまったけれど――。
今度こそ、母とまた一緒に暮らせると、彼女は信じて疑わなかった。
少女は白い手に招かれるまま瓦礫の上をずんずん進んだ。白い手の持ち主が身を潜めている影にたどり着くと、そこには誰もいない。前を向けば、また別の瓦礫の影から白い腕が突き出てゆらりゆらりと手招きしているのだ。
そんなことを繰り返しながらこの瓦礫の中を歩いてきたが、不思議と疲れは感じなかった。むしろ、急く気持ちに足が追いついているくらいである。
そのうち、白い腕は瓦礫の山の向こうに広がる石造りの廃墟の中に消えていった。廃墟は古いふるい廃城が、さらに崩れてしまった残骸である。だが、少女はここで何が行われたか、さっぱり知らない。十八年前に起こったバロルの動乱のころには生まれてもいなかったし、先ごろ行われた大戦は何が起こっているんだかさっぱりわからなかった。わからないうちに、母が消えてしまったのだ。
廃城の残骸はところどころに建物が残っていたが、ほとんどが崩れ落ちていて、これまで乗り越えてきた石くれの山と同じ状態になっている。そのため、廃城の敷地内に入っても、暮れ始めた藍色の空が少女の頭上に広がっていた。彼女の後方では早くも火が入れられた街のランタンが輝き始め、そこだけぼんやりと明るくなっている。そちらの方向から祭りらしい華やかな、はしゃいだような音楽が小さく聞こえてくる。
だが、少女の意識は眼前の闇に向いている。
辛うじて屋根が残っている場所に出て、彼女はようやく足を止めた。ここはどうやら、建物同士をつないでいた回廊の残骸のようで、高いアーチ状の天井と古い石造りの壁に囲まれている。壁際に天井を支える太い柱が立ち並び、その間に明り取り用の窓が開いていた。窓といっても、ガラスも格子もはまっていない、ただの穴だ。
窓から差し込む光はすでになく、周りは真っ暗で、自分の鼻先もわからない。一番星が輝き始めていた藍色の空も、小さな穴同然の窓からは見えなかった。ただ、暮れなずむ夕暮れの薄明かりが、窓のあたりの闇を辛うじて払いのけている。
「お母さん」
肩で荒い息をしながら母を呼んだが、何の返事もない。幼い彼女の甲高い声が、暗闇の中にうわんうわんと反響しただけだった。外でうっすらと聞こえていたあの賑やかな音楽も、ここではまったく聞こえてこない。
「お母さん……?」
もう一度呼んだが、やはり反応はない。あの白い腕を探して、少女は暗闇の中できょろきょろと周囲を窺った。だが見当たらない。この暗闇の中で動くものといったら、不安げに周囲を見回す彼女自身だけだ。
立ち止まったせいだろうか。急に寒くなってきた。先ほどまでまったく感じていなかった肌寒さを感じて、少女は自分の肩を抱いた。足が疲れて、痛くて――膝が笑っている。
砂埃で汚れた頬を涙が伝っていく。ぼろぼろ泣きながら、もう一度母を呼ぼうとしたときだった。
突然、誰かが、少女の小さな体を背後から羽交い絞めにして、暗がりの中に引きずり込んだ。口もとに布のようなものを当てられていて、声も出せない。
恐怖と寒さで急に頭がさえてきた。それと同時に、自分はここで死ぬのだ、と強くつよく絶望した。
「しー、しーっ。静かにしなさい」
暴れる少女の体を押さえつけている何者かが、頭の上から囁くように諭している。少女の体を羽交い絞めにしながら、なだめるように彼女の体を優しく叩いてくる。
「死神に気づかれるから。静かにしなさい」
言いながら、その何者かは体勢を変えて、 暗がりの向こうを少女に示すようにした。
彼女らは立ち並ぶ太い円柱の陰に身を潜めていて、そこから顔だけを覗かせて回廊のほうを窺っている。
通路を挟んで反対側の窓から見える外はすでに日が暮れてしまって、夜の闇が満ちている。回廊の中も暗いが、外との明暗の差でアーチ型の窓が明るく浮かび上がっている。その窓の形が、突然、いびつに歪んだ。黒い布のようなものが窓の前を横切ったのだ。
見れば、辺りを支配したこの暗闇よりも暗い何かが、ふわふわと空中に浮かんでいる。そこだけ切り取ったように、周囲の闇よりさらに群を抜いて暗いのだ。
闇に慣れてきた目をよくよく凝らして、少女は悲鳴を上げそうになった。それを察したのか、彼女を抱えている何者かが、しーっと息を鋭く吐いて警告しながら少女の口もとに布を強く当ててくる。
大きな布のように見えたそれは真っ黒のローブである。深くかぶったフードの奥から、くすんだ白いしゃれこうべが覗いている。地の底につながる穴のような眼窩に、ちらちらと蛇の舌のような赤い炎が燃えているのが見えて、少女は自分を抱える人物にすがり付いた。
落ち着いて、とその人が言った。今までよくわからなかったが、声の調子からしてどうやら若い女のようである。改めて振り仰げば、暗がりの中に女の白い面がこちらを見下ろしていた。
「薬が効いたようだね。手拭いを外すけど、声を上げてはいけないよ。魔法で姿を隠しているけど、声を上げると連中にばれるからね」
女は声を潜めながらも、ゆっくりと落ち着いた調子でそう言った。少女が大きく何度も頷くと、女はそっとこちらの体を解放した。口もとにあてがわれていた布を外されたおかげで、息がしやすい。そういえば、先ほどの布には何かハーブのような匂いがした。薬でも染み込まされていたのかもしれない。
「孤児院の神官さんに頼まれて、迎えに来たんだよ。あなたはあの化け物に魔法をかけられていて、正気じゃなかったんだ」
女は冒険者を名乗って、そのように状況を説明した。
自分を招いたあの白い手は、死神が見せた幻だったのだ。幼い頭で理解したとたん、ぼろぼろと涙が零れ落ちてきた。思わず声を上げて泣きかけた少女を、冒険者の女が慌てて抱きしめてきた。女の体は大きく、少女をすっぽりと覆い隠してしまう。
しーっ、と女が息を吐いて、声を殺すように少女に警告した。甲冑に覆われた女の胸の中で、そこに顔を押し付けるようにする。
声を出さないようにぐっとこらえたが、噛みしめた歯の間から嗚咽が漏れ出た。母は帰ってこないのだという圧倒的な現実が、闇の冷たさとともに体の中に染み込んできたようだった。体が震えて、力が全く入らない。冒険者に抱えられていなければ、きっとその場に倒れ込んでいたに違いない。
そのとき、突然、女が少女を抱え上げて駆け出した。驚いて、女の胸から顔を上げる。際立った女の顎のラインが目に入る。冒険者の女は険しい顔つきで、回廊の闇の中を疾駆していた。
自分を抱えて暗闇の中を走る女の肩越しに後ろを窺えば、あの恐ろしい死神が三人も大鎌を構えて追ってくるではないか。黒いローブが闇の中に翼のように広がって、今にもこちらを包み込もうとしている。
あまりのことに腹の底から悲鳴が飛び出た。少女の悲鳴につられるように、冒険者がちらりと後ろを振り返った。
死神が大鎌を振りかぶっている。女は少女を抱えたまま、身軽に方向転換した。彼女のまとった鎧が、その急速な動きに合わせてがちゃりと鳴る。死神が振り下ろした鎌の刃は空を切り、勢い余って立ち並ぶ円柱のひとつをかすめた。
冒険者は円柱の間をするりするりと駆け抜けていく。その後ろを三体の死神たちが、水の中を泳ぐ魚のような動きで飛翔して追いかけてくる。
「魔法! さっきの魔法は」
「ばれたら効かない」
と冒険者の女はそっけなく応じた。女が横倒しになった円柱の残骸を乗り越えると、彼女の身を包む鈍色の甲冑が再び重たげな音を立てた。背には暗闇でも凶悪さがわかる大槍を負っている。この装備を背負いつつ、少女を抱えながら瓦礫の中を走るのは骨が折れるのだろう。女はいかにも、こちらにかまっている余裕がなさそうである。
三人の死神は、ぴったりとこちらに追いすがってくる。空中を舞うたびにはためく黒いローブが、いかにも不気味だ。暗闇の中にあっても、フードの奥から覗く白いしゃれこうべがよく見える。死神の目の窪には目玉がはまっていないが、それでもこちらを睨み据えている気がする。
死神のひとりが、高い天井から滑空してくる。闇の中に広がるローブの端から、骸骨の白い指が伸びてきて、今にも少女を抱える冒険者の肩に触れようとした。それに気づいた女冒険者が急反転する。廃墟を造っていた大きな石材が横倒しになって、瓦礫の山をつなぐ橋のようになっている。その下を、少女を抱え込みながら身をかがめて滑り込んだ。死神がいったん距離を取ったのを確認もしないまま、すぐさま体勢を立て直して、少女を抱え直す。
冒険者は回廊の先を曲がり、そのさらに先にあった狭い階段を一段とばしで駆け上がる。死神たちは狭い通路に一列になって押し寄せた。先頭の一体の指先から、ちかちかと瞬く光の粒のようなものがこちらに降りかかってきた。闇の中から降り注いでくる光の粒は、打ち上げ花火に似ていた。だが、この光は熱を持たない。冷たく、無機質で、不気味であった。
その恐ろしさに再び激しい悲鳴を上げた少女を抱え込むようにして、冒険者がひと際大きく跳躍した。その先は回廊が途切れていて、高い段差になっている。一瞬の浮遊感の後に落下。
「きゃああああ!」
少女が泣き叫んだころには、どんっという衝撃とともに着地している。どうやら屋外に出たらしい。草が擦れた青臭いにおいが、冷たい夜気に乗って鼻を付く。
すぐさま、少女を抱えた女冒険者が、ちらりと後ろを振り返った。その途端、冒険者の体がぎくりと硬直した。
女の体にしがみつきながら顔を上げれば、崩れ落ちた回廊の上から、三人の死神が浮遊しながらこちらを見下ろしている。冒険者は彼らを見上げながら、ぼんやりとしていた。先ほどまでの素早く力強い動きはどうしたことだろう。死神を目の前にして、石像になったように動かないではないか。女冒険者の薄青い瞳は大きく見開かれ、グラグラと小刻みに揺れている。ちょうど、目を回してしまった時の様子に似ていた。
化け物に魔法をかけられていて、正気じゃなかったんだ――女冒険者がつい先ほど言った言葉を思い出した。そして、回廊から飛び降りる間際、死神の白い指先から迸った光の粒のようなものが、この冒険者に降りかかったのを。
あれが、魔法だったに違いない。この女冒険者は、自分をかばって化け物に魔法をかけられてしまったのだ、と少女は理解した。
「お姉さん、しっかりして」
少女は女冒険者にすがり付いて、彼女の体を揺すぶった。しかし、冒険者は少女のことなどすっかり見えていない――どころか忘れてしまっているような様子である。顔面蒼白のまま、居並ぶ死神を見上げて固まっている。色を失った唇がわなないて、
「――……ァス」
いったい、彼女の目には何が見えているのだろう。誰かの名を呼んだ気がする。
死神のひとりが鎌を振り上げた。あの暗闇の中でも鈍く光る禍々しい刃が、自分の首を刎ねる姿を想像する。少女は冒険者の腕を強く抱きしめた。
「お母さん、助けて!」
亡き母を呼んだ瞬間、それまで脱力していた冒険者がバネで弾いたみたいに跳び上がった。自分にしがみついた少女を突き飛ばし、背に負った槍を構えるなり、振り下ろされた死神の大鎌を弾き飛ばしたのだ。暗闇の中に火花が散って、その火花が消えるよりも早く、返す刀で振り下ろした大槍が死神のしゃれこうべを叩き潰した。
硬い地面に尻餅をついてへたり込んでいた少女が見上げると、冒険者はすでに立ち上がっている。そして、あの蒼白だった顔はすっかり生気を取り戻していた。女冒険者はこちらを振り向きもせずに、
「頭を低くして、隠れていなさい」
と硬い声で言うなり、残った死神に向かって槍の穂先を閃かせた。
「ありがとうございました」
神官に頭を下げられて、いいえ、とレインは苦笑する。
「これが私の仕事ですから」
というと、神官は恐縮した様子でもう一度礼を言った。
ギルドを出たのは日暮れ前だったが、廃城跡地に着いたころにはすっかり日も暮れて瓦礫の山は暗闇で満ちていた。魔法ランプの明かりで足もとを照らしながら、闇の力の強い方へと進んだ。
デスを前にして固まっている少女をインビジブルを使って保護したが、話し声でばれたのか――ひやりとはしたが、迷子に怪我がなくて何よりである。
「廃城跡地に人が入らないように、政庁に報告しておこう」
レインがギルドの親仁に言うと、そうしてくれ、と彼も頷いた。
「あんたの方が顔が利く」
親仁がカウンターに依頼内容の書かれた紙を置いた。順序が逆になってしまったが、依頼書にサインをする。サインのインクを拭きとっていると、羽織った外套を引くものがある。
見下ろせば、迷子だったあの少女が、まん丸い目でこちらを見上げていた。
「なぁに」
腰をかがめて尋ねると、何が見えたの、と言う。
「お姉さんには何が見えたの?」
少女の大きな澄んだ瞳が、まっすぐにレインの方を向いている。何を尋ねられているのかは理解している。だが、その率直な問いかけに、レインはすぐに応じることができなかった。喉の奥に何かがつっかえて、とっさに声が出てこなかった。
「私には、お母さんが見えたの。お母さんが、呼んでて……――」
少女の瞳の際からぼろぼろと涙がこぼれ始めた。お母さん、お母さん、と母親を呼びながら、わぁわぁと激しく声を上げて泣きじゃくる。
レインはその場に膝を折って、涙に濡れそぼった幼い少女の瞳を覗き込んだ。
「……私には、何も見えなかった。ただ、恐ろしい死神の化け物がいただけだ」
「本当に? 本当に何も見えなかった?」
少女はレインを激しく問い詰めた。神官が慌てて、彼女をレインから引き離そうとしてくる。それを、手で制しながら、レインは少女の小さな体を抱きしめた。あやすように頭を撫でてて、なだめるように背を優しく叩く。
「ごめんね。私には、何にも見えなかったんだ」
ごめんね、と繰り返すと、少女はレインの肩口に顔を埋めてさらに激しく泣いた。
ギルドから出ると、町はすっかり祭りの最中にあった。
頭上を見上げれば、ランタンの炎が夜空を埋め尽くしている。炎を燃やすランタンの明かりは、魔法ランプの煌々とした明かりより弱々しく、頼りなく、本当に死者の魂が浮かんでいるように見えた。ランタンが風に揺れると、橙色のぼんやりとした明かりまで揺れる。ランタンを吊るしている太い縄が夜の闇の中に溶けてしまっているので、光だけがあちらこちらに揺れ動いているように見えるのである。
華やぐ人の波に押されて、レインは大通りを北上した。黙々と歩く彼女の傍を、楽しげな笑い声を響かせながら子供たちが駆け抜けていった。
レインはそれを見送りながら、寒さに鼻をすすった。晩秋の冷たい空気が、氷の棘のように鼻孔に突き刺さって痛みを感じる。
広場に差し掛かってあまりの人波に、足を止めてしまった。ソリアス神像の脇に、大きなかがり火が焚かれている。神像の台座のすぐ下では、この日のために特別に組まれたステージに、リルビーたちの楽団が座していた。彼らはラッパを吹き鳴らし、リュートを爪弾いている。軽快なフィドルのリズムに合わせて、若い娘たちが靴のかかとで石畳を踏み鳴らす。
広場を囲む人の中から次々に踊りの輪に加わって、誰からともなく歌声が響き始める。楽器のないものは、自分の手を打って――あるいは足を踏み鳴らして――音の輪の中に飛び込んでいった。
誰かがバーンクラフトでも投げ込んだのか、かがり火がいっそう高く燃え上がった。立ち上った炎は夜空を飲み込んでしまうほどの勢いで、広場が一瞬、昼間のような明るさに包まれた。
かがり火の熱気に悲鳴のような歓声が起こった。人の群れが熱気を避けようと、一斉に大きく動く。
レインは、かがり火の強烈な明かりが照らし出す人の影の中に、知った顔を見つけてぎくりと固まった。
さざ波のように動く人の群れの中で、少女めいた白い横顔を見た気がした。『彼』は細いあごを持ち上げて、燃え上がる炎を見ていた。
絶句したレインの視界を、はしゃぐ人らが遮った。視界が開けたときには、もうその面影は消えている。
まだ死神のデルージョンが効いているのか――レインは今見たものを振り払うために頭を振った。
どれだけ意味のある祭りだろうと、死者が戻ってくることはない。生と死の間には、誰にも覆せない絶対的な隔たりがある。
わかっている。そんなことは百も承知だ。それでも、生者が死者に会いたいと思う気持ちは止められない。それが大事な人ならなおさらだ。幻覚の魔法にかかっているわけでもないというのに、ありもしない幻を見るほどに。
亡くした母を思って泣く幼い声が耳の奥にこびりついて、祭りの賑やかな音楽でもぬぐえそうにない。レインは人々の輪からひっそりと離れ、喧騒を背中にして歩き始めた。
◇ひとこと◇
はっぴーはろうぃん!